喜光寺
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喜光寺(きこうじ)は奈良県奈良市菅原町にある法相宗の寺院である。山号は清涼山。本尊は阿弥陀如来。奈良時代の高僧・行基が没した地とされている。
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[編集] 歴史
奈良時代に架橋、土木工事などの社会事業に携わり、東大寺大仏造立にも貢献した僧・行基が創建したと伝わる。行基研究の基礎文献の一つである『行基年譜』(安元元年・1175年成立)によれば、喜光寺の前身である菅原寺は、養老5年(721年)、寺史乙丸なる人物が自らの住居を行基に寄進して寺としたものであって、行基建立の四十九院の一つであるとされている。行基は天平21年(749年)この寺で82歳で死去し、生駒の竹林寺に葬られた。
一方、「菅原寺記文遺戒状」という別の史料によれば、この寺は霊亀元年(715年)、元明天皇の勅願により建てられたものという。創建当初は菅原道真の生誕地と伝わる菅原の里にあることから「菅原寺」と呼ばれていた。伝承によれば、聖武天皇が参詣した際に当寺の本尊より不思議な光明が放たれ、これを見た天皇が喜んで、「菅原寺」を改めて「喜光寺」としたという。『続日本紀』によれば、延暦元年(782年)、この地に住んでいた土師氏が桓武天皇から菅原姓を賜ったという。
[編集] 建造物
- 本堂(重要文化財)-室町時代に再建された単層裳階付き建物で、東大寺大仏殿の十分の一のサイズに建てられたといわれ、「試みの大仏殿」とも呼ばれる。
[編集] 文化財
- 重要文化財
- 本堂 - 室町時代前期
- 木造阿弥陀如来坐像 - 平安時代後期。像高233cm。