唐家セン
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唐家璇(とうかせん, 1938年1月~)は中華人民共和国国務委員。1998年銭其琛に代わって外交部長(外相)に就任し、2003年国務委員に昇格。李肇星が後任の外交部長に就任した。北朝鮮の経済制裁決議の際、特使として活躍する。外交の事実上トップ。
1938年江蘇省の鎮江に生まれた。1955年から1958年まで上海の復旦大学外文系英語学科で学び、1958年には北京大学東洋語系日本語学科に移り、1962年に卒業した。
1962年から1964年まで放送事業局対外部日本語係で働き、1964年から1969年まで外交部翻訳隊で翻訳に携わった。文化大革命により1969年から1970年にかけて外交部五七幹部学校に下放されている。
1999年の台湾大地震の際に、「我が国の一部である台湾省」と発言した。 また、2001年には靖国問題への対応に関する田中真紀子外務大臣との会談について、「やめなさいとゲンメイしました」と語り、一部から傲慢との批判を受けた。「ゲンメイ」に当てる字が「言明」か「厳命」なのかについては、判断が分かれるところである。
[編集] 以後の職歴
- 1970年 対外友好協会副処長、日中友好協会理事
- 1978年 駐日大使館第二秘書、後に第一秘書。
- 1983年 中央国家機関外事整党工作指導小組弁公室副主任
- 1985年 外交部アジア局副局長
- 1988年 駐日大使館公使級参事官、後に公使
- 1991年 外交部部長補佐官
- 1993年 外交部副部長
- 1998年 外交部部長
- 2003年 国務院国務委員
[編集] 外部リンク
- 唐家璇略歴(中国語)