原智恵子
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原 智恵子(はら ちえこ、1914年12月25日 - 2001年12月9日)はヨーロッパを中心に活躍した、日本人ピアニスト。夫はチェリストのガスパール・カサド。
[編集] 略歴
- 神戸市出身。
- 13歳で渡仏しラザール・レヴィに師事、日本人で初めてパリ国立音楽院を最優秀で卒業。
- 1937年、第3回ショパン・コンクールに日本人で初参加。審査の結果は15位とされ、この結果に聴衆が憤慨。会場は警官隊が出動するほどの大騒ぎとなり、特例として彼女に「特別聴衆賞」を贈ることでようやく事態が収まった。なお、このコンクールではあくまで「15位入選」であり「入賞」したわけではないが、「特別聴衆賞」を受賞したことから、「入賞」とする意見もある。(ちなみに公式では日本人初入賞は田中希代子。)
- 1938年9月3日、一時帰国し国内を演奏旅行で凱旋。
- 1940年、世界情勢悪化のため、やむを得ず帰国。
- 1941年、長男・象郎を出産。のちに次男・光郎(現・「キャンティ」オーナー)も出産。
- 戦中戦後を通じ国内で演奏活動を展開。
- 川添と離婚後スペインに渡る。
- 1959年、チェロの巨匠ガスパール・カサドと再婚し、イタリアに定住することを決める。以後、ヨーロッパを中心にデュオ・カサドとして、またソリストとして活動した。
- 1966年カサドと死別。
- 1969年からフィレンツェで「カサド国際チェロ・コンクール」を主催、通算10回(1990年まで)開催。
- 1990年、体調を崩し日本へ帰国、そのまま療養生活に入る。
- 2001年12月9日夜、老衰のため東京都内の病院にて逝去。葬儀の喪主は前夫との子・川添光郎が務めた。
カテゴリ: イタリアのピアニスト | 1914年生 | 2001年没