南水北調
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南水北調(なんすいほくちょう)は、中国南方地域の水を北方地域に送り慢性的な水不足を解消する構想の事であり、2002年12月27日、当時の首相朱鎔基によって着工を宣言された。第10次5カ年計画の一つで、総投資額は約5,000億元。西気東輸、西電東送、青蔵鉄道とともに、西部大開発の目玉プロジェクトとして位置づけられる。
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[編集] 南水北調の始まり
1952年10月30日に毛沢東主席は“南方水多,北方水少,如有可能,借點水來也是可以的”(南方は水が多いが、北方は水が少ない。できるのであれば、南方の水を借りればよい)と大胆な構想を発表した。それ以来、中国政府は多くの専門家を集め50年間にわたり調査・研究を行ってきた。そして、数々の案を検討・議論した結果、南水北調は長江の上流、中流、下流からそれぞれ取水し、西北地区と華北地区の各地に引水する東線、中央線、西線の3ルートの案を決定した。
[編集] 東線工程
長江下流の江蘇省揚州より長江の水を引いて、京杭大運河とその平行の河道を利用してポンプで揚水して北方に送水する。さらに洪沢湖、駱馬湖、南四湖、東平湖とも連結して水を蓄えたり水量調節を行う。東平湖を出た後、水路は2つに分かれ一つは北方に向かい、位山の付近にてトンネルを経て黄河に合流して河北から天津にまで到達、長さは1156Kmになる。もう一つは東に向かい、山東省済南市を経由して煙台市、威海市まで達し長さは701Kmになる。
[編集] 中線工程
長江中流の支流である漢江の丹江口ダムより取水して、唐白河平原北部、黄淮海平原の西部を経て、鄭州市西部の孤柏嘴で黄河に合流し北上する。最終的に北京市と天津市に達し長さは1267Kmになる。
[編集] 西線工程
長江上流の通天河と支流の雅礱江、大渡河上流地域にてダムを建設して、長江と黄河の分水嶺・巴顔喀拉山脈に輸水トンネルを掘り、長江上流の水を黄河上流に引く。この工事により青海省、甘粛省、寧夏回族自治区、内モンゴル自治区、陝西省、山西省等の黄河上中流域と渭河関中平原の水不足解消が見込まれる。ただし、長江と黄河の高低差が80-450mあり長江から水を送るために高さ200m以上の規模のダムかポンプによる水の汲み上げが必要であり、長さ100Kmのトンネルを開削しなければならない。さらに海抜3000~5000mに位置しており工事作業者の高山病や地震地帯に重なるため地震の危険などにより最も困難な工事になることが予想される。