千葉胤直
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千葉 胤直(ちば たねなお、応永26年(1419年) - 康正元年8月15日(1455年9月26日))は室町時代中期の武将。千葉氏の第16代当主。父は第15代当主・千葉兼胤。母は上杉禅秀の娘。子に千葉胤将・胤宣。官位は従五位下、千葉介。
1430年、父の死により家督を継ぐ。鎌倉公方であった足利持氏が京都の室町幕府からの自立を画策すると、関東管領上杉憲実とともにこれを諌める。しかし、持氏が憲実討伐を計画したため、1438年の永享の乱では幕府軍に属して持氏を攻め、直後の結城合戦でも幕府軍に属して結城城を攻めた。だが、1441年に胤直は憲実とともに出家して家督を嫡男・胤将に譲った。
その後、持氏の遺児である足利成氏が鎌倉公方として復帰すると、胤直は胤将とともにこれを支える。ところが1454年に成氏が再び上杉氏討伐を企てたために離反して上杉氏とともに成氏を攻撃する(享徳の乱)。だが、この年に胤将が急死したために幼い弟の胤宣が千葉氏を継ぐ事になり、胤直がその後見を行うことになった。そして1455年、かねてから胤直に不満を抱いていた馬加康胤と原胤房の連合軍が胤直を攻撃。胤直・胤宣は千田庄多胡に逃れて防戦したが、同年8月12日に胤宣が自刃し、胤直もその3日後に自刃して果てた。これにより、家督は馬加康胤に奪われて、千葉氏宗家は滅亡した。
この事件を契機として、千葉氏は次第に衰退してゆくのであった。