千葉兼胤
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千葉 兼胤(ちば かねたね、1392年(元中9年/明徳3年)-1430年7月7日(永享2年6月17日))は、室町時代前期の武将。千葉氏の第15代当主。第14代当主・千葉満胤の子。官位は修理大夫。千葉介。
鎌倉府の侍所の役人を務めた。1409年、足利満兼が死去したとき、それに乗じて新田氏による謀反が起きたが、兼胤はこれを事前に鎮圧するという武功を挙げた。1416年、舅の上杉氏憲(禅秀)が反乱を起こすと、これに与して父と共に足利持氏追放に一役を買った。しかし翌年、幕府軍の反攻を受けて禅秀が自害すると、父と共に幕府軍に降伏した。1426年、父の死により家督を継いだといわれているが、降伏後に父は処罰として隠居させられているに等しい状況だったので、恐らくはこの前後に継いだと思われる。
1430年6月17日、39歳で死去し、後を子の千葉胤直が継いだ。