千坂高房
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千坂 高房(ちさか たかふさ。寛永15年(1638年) - 元禄13年(1700年))は、江戸前期の上杉家江戸家老。
通称の千坂 兵部(ちさか ひょうぶ)の名で知られる。忠臣蔵などのドラマでは、吉良上野介邸討ち入りの際に実父吉良上野介を助けるために出兵しようとする主君上杉綱憲を押しとどめる役などで出てくることが多い(ただし実際にはこの時すでに千坂は死んでいる)。
千坂氏は上杉朝宗の孫の上杉高春(千坂高春)を祖とする扇谷上杉氏庶流で、長尾氏、石川氏、斎藤氏と並ぶ関東管領上杉氏の四家老家(千坂、長尾、石川、斎藤)の一つ。
上杉謙信、景勝と二代に仕えた祖父の千坂景親は、上杉家初代江戸家老であり、その子の千坂高治も江戸家老となっている。
その江戸家老千坂高治の子として生まれたのがこの高房である。寛文8年(1668年)11月5日、千坂家の家督を相続したが、寛文4年(1664年)、藩主上杉綱勝急死によって米沢藩領を30万石から15万石に減らされたため、家臣たちも半知となって千坂家の所領はこのとき1565石となっていた(もともとは3130石)。
延宝2年(1676年)6月2日、父・祖父と同様に江戸家老に就任。元禄12年(1699年)4月23日、隠居して米沢に帰国した。隠居料として15人扶持を与えられる。元禄13年(1700年)5月9日に死去した。享年62。
実際の千坂兵部が元禄赤穂事件の際にはすでに死んでいるにもかかわらず、ドラマや映画などで主君上杉綱憲の出兵を押しとどめるシーンが多いのは、大佛次郎著『赤穂浪士』の影響である。しかし最近では、千坂が当時すでに死亡していたことが広く知られるようになったため、かわって当時の上杉家江戸家老色部又四郎がこの役を代行することが多くなった。