十津川郷士
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十津川郷士(とつかわごうし)は、南大和(奈良県)の十津川郷に在住していた郷士集団。
[編集] 概要
十津川村は南大和の村で、神武天皇東征のとき道案内に立った八咫烏(ヤタガラス)をトーテムとする。古くから朝廷につかえ壬申の乱のおりにも村から出兵したと伝えられており、南北朝時も吉野の南朝につくしている。米のほとんどとれない山中ということもあり、室町時代になっても守護の支配下に入らなかったという。太閤検地時には年貢が赦免され、江戸時代に入っても、天領となり住民は郷士と名乗ることを許された。
幕末になると、勤皇の志士となるものも多く、過激派公家の思惑から薩摩、長州、土佐等と並んで宮廷警護を命ぜられた。天誅組の変の際にも、多くの郷士が参加している。維新後は、全員士族となった。だが、一部過激派は新政府の近代化政策に反発して横井小楠暗殺事件などを起こしている。