勧修寺晴豊
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勧修寺 晴豊(かじゅうじ はるとよ、天文13年2月24日(1544年3月17日) - 慶長7年12月8日(1603年1月19日))は、安土桃山時代の公家。姓は「かんじゅじ」とも。権大納言、准大臣などを叙任。権大納言・勧修寺晴右の子。実子に勧修寺教豊、養子に芝山宣豊がいる。
武家伝奏を務め、織田信長、豊臣秀吉等と交流があった。その著書「晴豊公記(晴豊記)(日々記)」は信長や本能寺の変に関する記述も多く、史料価値が高い一級史料とされている。 本能寺の変前日の天正10年(1582年)6月1日、信長の上洛を祝うための勅使として甘露寺経元と共に本能寺を訪れ信長と会見。変直後に見聞した二条御所等の状況を記録している。山崎の合戦後、明智光秀の娘を保護したとされる。
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