加賀昭三
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加賀 昭三(かが しょうぞう、1950年[要出典] - )は、日本のゲームクリエイター。有限会社ティルナノーグ代表取締役。1999年8月までは任天堂のセカンドパーティ企業である株式会社インテリジェントシステムズ(イズ)でディレクターを務めていた。
イズで海外市場向けのシューティングゲーム開発などを担当していたが、アルバイトで雇われていた学生3名と加賀曰く「同人ゲームのノリで」制作した「ファイアーエムブレム 暗黒竜と光の剣」(ファミリーコンピュータ・1990年4月20日発売)がヒットし、一躍有名クリエイターの仲間入りを果たす。その後は1999年の「ファイアーエムブレム トラキア776」(スーパーファミコン)まで一貫して同シリーズのディレクターを務め、事実上「FEシリーズの生みの親」と認識されて来た。
1999年8月にイズを退社しティルナノーグを設立、かねてからFEフリークであったファミ通編集長(当時)浜村弘一の協力を取り付けてプレイステーション用ゲーム「エムブレムサーガ」の開発に着手する。ところが、ファミ通2000年1月21日号に掲載されたインタビューでFEシリーズと世界観を共有する作品であると示唆したことなどを問題視され任天堂及びイズから再三、ゲームの発売中止または内容の抜本修正を求められるようになる。結局、エムブレムサーガは2001年4月に「ティアリングサーガ ユトナ英雄戦記」と改題され、同年5月にエンターブレインより発売されるが任天堂とイズはティアリングサーガのゲーム内容にFEの著作権を侵害しているものが多数含まれていること及び、FEシリーズと関連性があるかのような広告宣伝方法が消費者に誤認を与えていると言う2点を巡ってエンターブレイン・ティルナノーグ・加賀の3者を東京地方裁判所に提訴。2002年11月14日の一審判決では任天堂及びイズの請求は全て棄却されたが、2004年11月24日の二審・東京高裁判決(2005年4月に最高裁で確定)は不正競争防止法違反について加賀ら3者の責任を認め、約7600万円の損害賠償が命じられた。この間、2004年5月31日の控訴審第9回審理では加賀本人が証人として裁判所でゲームの製作過程などについて証言を行っている。
この裁判の結果、任天堂及びイズからの内容証明を受けて発売までにゲーム内容を修正したこと及びFEとティアリングサーガに共通して採用されている多くのゲームシステムは一般的なアイデアの域を出ず著作権法違反は存在しないことが確定したのを受けてエンターブレインは2005年5月26日にプレイステーション2で続編「ベルウィックサーガ」を発売した(但し、スタッフロールに加賀及びティルナノーグはクレジットされていない)。その後、ファミ通ゲーム白書2006にベルウィックサーガの開発元としてティルナノーグが明記されており、氏がベルウィックサーガに携わっていた可能性も示唆された。但し、加賀はティアリングサーガ完成直後の時点で「隠居中」であるらしく、その後のはっきりした制作活動は不明である。[1]
[編集] 作品
- ファイアーエムブレムシリーズ
- ファイアーエムブレム 暗黒竜と光の剣(FC・1990年4月20日)
- ファイアーエムブレム外伝(FC・1992年3月14日)
- ファイアーエムブレム 紋章の謎(SFC・1994年1月21日)
- ファイアーエムブレム 聖戦の系譜(SFC・1996年5月14日)
- BSファイアーエムブレム アカネイア戦記(SFC(サテラビュー)・1997年9月29日~10月25日配信)
- ファイアーエムブレム トラキア776(SFC(ニンテンドウパワー)・1999年9月0日、SFC/ROMカセット・2000年1月21日)
- ティアリングサーガシリーズ
- ティアリングサーガ ユトナ英雄戦記(PS・2000年5月24日)
- ティアリングサーガシリーズ ベルウィックサーガ(PS2・2005年5月26日)
- その他の作品
- スーパーファミコンウォーズ(SFC(ニンテンドウパワー)・1998年5月01日)
- カードヒーロー(GB・2000年2月21日)※テクニカルアドバイザー