劉知遠
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劉知遠(りゅうちえん 895年 - 948年、在位947年 - 948年)は、中国五代十国時代の後漢の初代皇帝。廟号は高祖。
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[編集] 即位
劉知遠は元来は後唐の明宗に仕え、その後は石敬瑭に仕えていた人物である。後晋建国に大功を挙げたため、944年に幽州道行営招討使に任じられるなど軍の要職を歴任した。
石敬瑭が契丹に燕雲十六州を割譲しようとしたときは強く反対したが、容れられなかった。
出帝のとき、後晋は契丹による侵攻を受けたが、劉知遠は軍を出さなかった。そして出帝が契丹に捕らえられて後晋が滅亡すると、河東行軍司馬の張彦威に無主となった中原で皇帝即位を薦められたが、この時は拒絶している。
しかし947年、開封にて自ら即位して後漢を建国し、翌年乾佑と改元した。同年には崩御している。
[編集] 后妃
- 李皇后