剣晃敏志
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剣晃 敏志(けんこう さとし、本名・星村 敏志、1967年6月27日 - 1998年3月10日)は、大阪府守口市出身で高田川部屋の元大相撲力士。最高位は小結。得意の型は左四つ。
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[編集] 来歴
定時制高校を中途退学して、高田川部屋に入門。上位力士相手に張り手をかますなどヒール役のイメージが強かった。1993年3月場所での対幕内浪ノ花戦の張り手合戦は有名である。また、大関貴ノ浪には圧倒的に強かった。デーモン小暮からは「角界(土俵)のならず者」とも呼ばれたが、そのイメージとは裏腹に母親思いの上、若い者からの人望はあった模様。さらに師匠の高田川親方(元大関前の山)も部屋の後継者にすることを考えていたといわれる。
じわじわと番付を上げて小結を2場所(1995年5月、9月)務めた。又三賞は、殊勲賞と敢闘賞を1回ずつ受賞している。
1996年11月場所ごろから体調を崩し、原因不明の高熱と貧血とに悩まされるが、治療を続けながらも相撲を取っていた。翌1997年5月場所に8勝7敗と勝ち越したが、その後入院し以後一番も土俵に上がることなく休場を続け、幕下55枚目まで下がっていった。そして1998年3月場所中に、難病である汎血球減少症による肺出血のため、わずか30歳の若さで現役死した。
剣晃の四股名は入門当時不摂生で顔色が悪かったことから「健康」を願ったもので、病気がちで痛風も患っていた剣晃は本場所・巡業の先々に青汁を持ち込み、健康管理に努めていただけになんとも残念な話である。
[編集] 主な成績
- 幕内通算:181勝224敗15休
- 幕内在位:28場所