内田忠男
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内田 忠男(うちだ ただお、男性、1939年6月9日 - )とは、マニラ(当時:米領フィリピン群島)出身の国際ジャーナリストである。
連絡先 (有)内田忠男事務所 〒107-0062東京都港区南青山4-2-6南青山426ビル4F TEL(03)3475-5404 FAX(03)5413-7775
[編集] 経歴
- 1962年3月、慶應義塾大学経済学部卒業。同年、読売新聞社入社。主に東京本社社会部で記者活動。
- 1975年、同社外報部に転じ、ロサンゼルス特派員。ロッキード事件に遭遇。
- 1978年、同社を退社。U.S.-Japan Business News社の副社長・編集主幹を務めながら文筆活動に従事。
- 1980年より、テレビ朝日の報道番組『ビッグニュースショー、今世界は』のニューヨーク側キャスター。キッシンジャー博士をはじめとする米国の要人多数と単独会見。戒厳令下のポーランドでラコフスキ副首相やワレサ連帯議長との単独会見にも成功した。
- 1988年、帰国。10月よりテレビ朝日『内田忠男のモーニングショー』の司会。
- 1991年、テレビ朝日の報道番組『ステーションEYE』の司会。
- 1993年より、再びニューヨークに駐在、1999年10月からは㈱テレビ朝日アメリカInc.の取締役に就任。同局の国際問題専任キャスターとして世界各地にも足を伸ばしながら活躍。
- 2001年9月11日、同時多発テロ事件の報道ではテレビ朝日社長特別賞受賞。
- 2003年3月、同取締役退任。2004年3月テレビ朝日との出演契約終了、フリーとなる。
- 2005年度から、山梨県立大学客員教授(国際関係論、平和と安全保障)。
- 2006年度より、名古屋外国語大学現代国際学部教授(国際関係論、現代アメリカ論、国際経済速報など)。傍ら、名古屋テレビ、中京テレビ、毎日放送などに出演、講演も多数。
連絡先 (有)内田忠男事務所 〒107-0062東京都港区南青山4-2-6南青山426ビル4F TEL(03)3475-5404 FAX(03)5413-7775
[編集] 人物
- 第一線のジャーナリスト歴42年。そのうち在米期間は、1975年以来通算24年余り(ニューヨークが大半で、ロサンゼルスにも5年間居住)。全米50州のうち、48州に足跡を記している。
- 米国の政治、経済はもとより、国際情勢、国際経済、日米関係の機微にわあり該博な知識と豊富な取材経験を有する。
- 米国大統領選挙をまじかに取材したのは、1976年のカーターVSフォード以来、東京で夕方ニュースのアンカーをしていた92年を除く毎回、2004年7回目。
- 又、キャリアの過半を占めた国際ジャーナリズムの活動では、G7、G8の主要国首脳会議(サミット)を計19回現地取材したのをはじめ、米ソ、米ロ首脳会談、全欧安保協力会議首脳会議、ダボス会議、米州首脳会議など、国際会議の取材経験を極めて豊富かつ多岐にわたる。現役ジャーナリストでは最も豊富な取材体験を持つ。
- 以上のような硬派の取材対象ばかりでなく、スポーツ、メディア界、市井の市民感情にも精通している。とくにスポーツでは、米大リーグやPGA、LPGAなどゴルフの取材経験が豊富。
- 大リーグ取材では、若いころ1年間だけだったが読売新聞運動部に勤務した経験を生かし、常にスコアカードを携えて、ゲームの成り行きをプロの立場で見ているし、ゴルフでは、岡本綾子ら日本人ゴルファーのツアー優勝をたびたび取材したほか、テレビ朝日が全米オープンの放送権を取得した後、3年間解説を担当した。大相撲は、父親が春日野部屋のタニマチだったことから、小学校3年頃から本場所、稽古を見ており、前記読売運動部時代には支度部屋取材を担当、社会部時代には「横綱北の湖誕生」の記事を執筆。
- 個人的な趣味の領域では、ニューヨーク在住中は、メトロポリタン・オペラとNYフィルを定期的に観賞。とくにメッツのオペラは「スポンサー・パトロン」として登録されプログラムにも名前が掲載されている(2002~2003シーズンまで)。ロサンゼルス在住中は、ロサンゼルス・フィルの定期会員でもあった。
- このように、幅と奥行きが非常に広いジャーナリストであり、そうした含蓄をもとに発せられるコメントは、視聴者から「解り易い」「歯切れが良い」「論理の筋が通っている」「正しい日本語」との定評を得ている。
- 特に、同時多発テロやイラク戦争など、突発的な重大事に直面した際のリポートは、状況把握のスピード、情報の選択、冷静な分析に基づくコメントの構成、抑制の効いた文言、的確な解説・・・と言った面で他の追随を許さなかった。
[編集] 著書
- マンハッタン ブロードキャスティング(1989年、日経通信社)
- 世紀末の日本と世界(1996年、近代文芸社)
- 国際ビジネスの基礎知識百科(1989年、主婦と生活社=監修)など。
- 雑誌、新聞などへの寄稿執筆も続けながら、講演多数。
カテゴリ: 日本のジャーナリスト | 1939年生