八重山地震
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八重山地震(やえやまじしん)とは、1771年4月24日(明和8年3月10日)に発生した大地震。大津波により大きな被害を受けた。その為、年号を取って明和の大津波とも呼ばれる。
また、石垣島の白保村ではこの大地震に関する伝説がある。 ある日白保の漁師達が漁で人魚を捕獲してしまい、その人魚を放すお礼に人魚が大津波が来ることを教えた。村の中ではこの情報が確かなものか議論するが、結局信じる人々はおもと岳に避難し、信じない人々は村に残ると言う決断を下す。そして津波は起こり、村は津波に飲み込まれてしまう。生き残った人々で白保村を再興、現在に至ると伝えられる。
[編集] 概要
震源は八重山列島近海、深さは不明。地震の規模を示すマグニチュードは7.4。フィリピン海プレートがユーラシアプレートの下に沈み込むために生ずる、歪みがもとで発生した海溝型地震であった。
[編集] 被害
震害はなかったとされている。しかし、地震により大津波が発生し、宮古・八重山両列島で死者・行方不明者約12000人・家屋流失2000戸以上という惨事になった。津波の高さは40メートルとも80メートルとも言われている。宮古島北西にある下地島には、このときの津波で打ち上げられたと伝えられている巨石がある。