入唐求法巡礼行記
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入唐求法巡礼行記(にっとうぐほうじゅんれいこうき)とは、9世紀の日本人僧で、入唐留学僧である円仁(794年‐864年)の旅行記である。全4巻、文量は7万字。原本は失われたが、東寺(教王護国寺)に写本が残る。円仁は最澄に師事した天台僧で、後に山門派の祖となる。
[編集] 内容
- 巻一 承和5年(836年)6月 - 開成4年(839年)4月
- 巻二 開成4年(839年)4月 - 開成5年(840年)5月
- 巻三 開成5年(840年)5月 - 会昌3年(843年)5月
- 巻四 会昌3年(843年)6月 - 承和14年(847年)12月
[編集] 評価
その記述内容は、ちょうど遭遇してしまった、武宗による会昌の廃仏(三武一宗の廃仏の3番目)の状況を記録した同時代史料として注目される。
正史には見られない、9世紀の中国の社会・風習についての記述も多く、晩唐の歴史研究をする上での貴重な史料として高く評価される。中国や日本では、玄奘(602年‐664年)の『大唐西域記』やマルコ・ポーロ(1254年 - 1324年)の『東方見聞録』以上の価値があると評価する歴史学者もいる。(この3つを世界大旅行記とする意見もある。)
1955年には、駐日大使でもあったエドウィン・O・ライシャワーが英訳して紹介し、各国語に翻訳されて広く知られる所となる。