佐々木氏信
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佐々木氏信(ささきうじのぶ、1220年(承久2年) - 1295年6月16日(永仁3年5月3日))は鎌倉時代中期の武将。佐々木氏支流京極氏の始祖であり京極氏信(きょうごくうじのぶ)とも呼ばれる。
[編集] 生涯
承久2年(1220年)、後に近江の守護へと任ぜられる佐々木信綱と、その正室である執権北条義時の娘との間に、四男として生まれたとされるが、母は武蔵国河崎庄の荘官の娘とする説もある。
仁治3年(1242年)に父が亡くなり、江北に在る高島、伊香、浅井、坂田、犬上、愛智の六郡と、京の京極高辻の館を継ぐ。これにより子孫は後に京極氏と呼ばれる様になり、江南と京の六角堂近くの館を継いだ兄の泰綱は佐々木宗家を継ぎ六角氏の祖となる。
文永2年(1265年)に引付衆、翌年には評定衆に加わり、弘安6年(1283年)には近江守へと任ぜられ、この頃には後に京極氏の菩提寺となる清滝寺を創建している。
永仁3年(1295年)5月3日に76歳で亡くなり、清滝寺殿道善大居士との法名を贈られた。
鎌倉の桐ヶ谷にも住んでおり、桐谷氏とも呼ばれた。長男の頼氏は桐谷に住み別家を立てた。次男の範頼、三男の満信は共に早世し為、四男の宗綱が家督を継いだ。
[編集] 史料
- 西讃府史