仙台四郎
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仙台 四郎(せんだい しろう、1860年頃 - 1902年頃)は、明治時代の仙台の人で、現代まで福の神として崇められている。本名は芳賀四郎。知能障害で話すことができなかったが、四郎がいる店は繁盛するとして各地でもてなされた。没後、商売繁盛のご利益があるとしてその写真が飾られるようになり、今日に至る。
火の見櫓のそばに生家があったため、櫓下四郎と呼ばれ、「四郎馬鹿」「シロバカ」などとも呼ばれた。元々は聡明な子供だったが、7歳の時に花火見物中、誤って広瀬川に転落して溺れ、1週間意識不明で生死の境をさまよったのが元で、知能の発達が遅れだしたのだという。言葉は「バアヤン」としか話さず、市中を歩き回って人に金品をもらったりしていた。人に危害をなすことはなく、子供が好きで、いつもニコニコと機嫌よく笑っていたという。立ち寄る店は必ず繁盛するとされたため、どこでも無料でもてなされた。四郎は素直な性質であったが、気に入らない店には誘われても決して行かなかったという。やはり無料で鉄道を利用し、白石、白河、福島、山形まで足を伸ばしていたらしい。1902年頃に47才で須賀川で死んだとされるが、はっきりしない。なお記録としては鉄道で外遊に出る由、新聞記事に載ったものが最後と云う。
写真が一枚だけ残っており、大正に入るころに、仙台市内の千葉写真館が「明治福の神(仙台四郎君)」と銘打ってこの写真を売り出した。このときから「仙台四郎」と呼ばれるようになった。四郎の人気は盛衰あり、2005年現在の流行は1980年代に始まったもので、大小の人形と写真が売り出され、仙台の名物になっている。写真に見る仙台四郎は、縞模様の和服に懐手をして笑っており、膝の奥に黒い影があるように見える。今売られている人形のほとんどは、これを陰嚢に見立てて造形している。
写真版四郎にも様々なバリエーションがあり、男根がそのまま写っているものや、影で覆わず、着物がはだけていないように写っているものなどが有る。
「男根」が写っているのは、東北に有る「男根」信仰も由来していると言う。「世の中でこれほど早くおがる(おおきくなる)ものはない」として、怒張の盛んさと、商売の隆盛をかけたものとおもわれる。
仙台市内の飲食店では、神棚、レジ脇などに、仙台四郎の写真や置物を見ることができる。土産屋などでは、様々な四郎人形がおいてある。
なお写真は、細部の相違によりいくつかの版が確認できる。
[編集] 参考文献
- 大沢忍『不思議な福の神「仙台四郎」の解明 -その実在と世界の分析』、近代文藝社、1994年。
- 仙台市民図書館・種部金蔵・編『要説宮城の郷土誌』、宝文堂、1983年。
- 三原良吉『郷土史仙臺耳ぶくろ』、宝文堂、1972年。
- 『明治の福の神仙台四郎+平成の幸運の女神仙台幸子』(壱号)、2005年。