人間学
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人間学(独:Anthropologie 英:anthropology)は、一般に「人間とは何か?」、「人間の本質とは何か」という問いに哲学的な思考と実証的な調査で答えようとする学問で、通常は哲学の一部門として、哲学的人間学の名で呼ばれることもあるが、文化人類学、経済人類学、生物学的人間学など、他の諸科学にもその学問分野での人間論、人間学を語る人たちも少なくない。
[編集] 哲学史の中における人間学の位置
哲学史における「人間」という問題は極めて重要な位置を占めている。人間とは何かという問いかけは、古代から問われつづけてきた問題であるが、長い間それは少ながらず、哲学や宗教に限らず、あらゆる学問分野において神を通じてでのみ考えられることであった。人間学が「学」として現われたのは、近世哲学の出発点であるルネ・デカルトによる自我概念の発見以降の、18世紀の啓蒙思想まで待たねばならなかった。自身が自己に責任を持って考え行動する考えるという考えが広まっていくとき、それは一人の独立した存在としての人間であるという考えを普及させていくことにほかならず、そこには大元である「(一人の独立した存在としての)人間とは何か?」という問いかけが潜んでいた。このような背景から、次第に人間学が姿をあらわしはじめた。啓蒙思想家でもあるヴォルフの影響を受けていたイマヌエル・カントは、この「人間学」の立場を明確した代表的な哲学者でもあり、自身の哲学においてこの「人間学」という分野を根本のひとつにしていた。
その後「この人間とは何か」という問題はドイツ観念論を通じて、ヘーゲルの弁証法に受け継がれ、人間精神における自由への本性の理論付けなどに多大な範囲に及んだ。さらに、この流れはヘーゲル左派からカール・マルクスへという唯物論の見地へと受け継がれていく。それまで意識や精神といった観念論的な概念を通じての人間存在を、より還元的なものとし、人間中心主義的な世界観の構築を説いていく。さらに、チャールズ・ダーウィンの進化論が当時の学界を震撼させ、人間の動的で惨い部分が次第に見られていくようになった。人間はサルから超人への綱渡り(発展途上)であると説くフリードリヒ・ニーチェも見逃せない。(このニーチェによって、人間学的な立場ながらも、脱人間主義の立場が提唱されたともいえる。)世紀末思想を経て、20世紀に入って、実存思想が興隆し、それまで構想されていた理想的な人間社会が無残に打ち砕かれ、社会と国家、科学技術の発展で我々は「人間不在」というあらたな問題を直視せざらる得ない状況となり、改めて人間として生きる意義について問われることとなったが、現代ではこの人間学の問題は既に哲学という学問だけでは解決できない事態になっている。
[編集] 近現代の人間学
特に19世紀、「歴史の世紀」と呼ばれる時代には、歴史学のみならず、化学、生理学から地理学、民族学、民俗学、心理学などが発展し、人間についてのさまざまな情報が溢れ返るようになった。カール・マルクス、チャールズ・ダーウィン、ジークムント・フロイトの名前もその中にある。それによって、従来以上に人間がよく分かるようになったかというと、むしろその逆で、より分からなくなったというのが正直な返答だろう。
1928年、ダルムシュタットの郊外にあるカイゼルリンク伯爵(自身も『哲学者の旅日記』という著書のある啓蒙的な哲学者、同時代人のルドルフ・オイケンは、今でこそ忘れられているが、通俗哲学論でノーベル文学賞を与えられた、そういう時代だった)の「英知の学校」で、哲学者のマックス・シェーラーが招聘講演として「宇宙における人間の位置」と題する講演を行い、人間学研究の提言をしたのが、この問題意識の嚆矢だったといわれている。
この講演は、かなりの反響をドイツ語圏の哲学、文化的な世界にもたらし、ハイデッガーもヤスパースもそれぞれ、『世界像の時代』、『存在と時間』(哲学的人間学への言及は少なくない)や『現代の精神的状況』で賛否の態度を示した。当時の動向は、国内では三木清の『構想力の論理』の中にも照会がある。
シェーラーの提言の直後にでたヘルムート・プレスナーの『有機物の諸段階と人間 哲学的人間学入門』は、既にこの言葉を副題に取り込んでおり、その後はアーノルト・ゲーレンの『哲学的人間学』、『人間学の探究』、『人間 その本性および世界における位置』という三部作がこの方面の最大の業績のひとつになる。ミヒャエル・ラントマン、エーリッヒ・ロータッカー、わけてもワルター・シュルツらが注目した仕事である。
エルンスト・カッシーラーの『象徴形式の哲学』、『人間』、ハンナ・アーレントの『精神の生活』もこの系列の仕事と看做される。国内で、この思想の流れの中で人間学を模索したのは、京都学派の高山岩男の『哲学的人間学』が代表的である。彼の後、この思想的な手がかりは、教育学の世界に引き継がれ、1970年代、ドイツでオットー・フリードリッヒ・ボルノウらを中心にディルタイ系の教育学研究者の間で、教育人間学、人間学的教育学を巡る議論が活発化し、人間学への関心が国内でも再炎した。たとえば、森昭の『教育人間学』を筆頭に、下程勇吉などにこの方面の著作がある。
フランスのティヤール・ド・シャルダン、ガブリエル・マルセルらの人間学は、この流れとはまた別の出自のものである。