井上怜奈
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井上 怜奈(いのうえ れな、1976年10月17日 - )は兵庫県西宮市出身、千葉県松戸市育ちの、元日本、現在はアメリカのフィギュアスケート選手。身長149センチ。渋谷教育学園幕張高等学校、早稲田大学出身。
[編集] 来歴
西宮で出生後、実父の転勤に伴い松戸へ転居。4歳から競技開始。。
「このころ(井上が)喘息を発症しており、父が何か運動を…と思い、また自宅近くにリンクがあったのでスケートになったと聞きました」との旨本人が明かしている。 中学3年生で出場した1992年アルベールビルオリンピックには、小山朋昭とペアを組んでの出場で、14位。
高校2年生だった1994年リレハンメルオリンピックには、国内選考会で5種類7回の3回転ジャンプを全て決めてオリンピック出場を果たす。女子シングルで出場し18位だった(佐藤有香は5位入賞)。
大学3年生となった1998年長野オリンピックも、女子シングルでの代表を目指したが1枠しかなく、全日本選手権で3位に終わり出場を逃した(長野五輪女子シングル代表は荒川静香で、13位。荒川はその8年後トリノ五輪で優勝し金メダリストとなる)。
長野五輪後は再びペア選手として活動し、2001年シーズンから練習拠点をアメリカに移し、ジョン・ボルドウィン(1973年10月18日生まれ、身長175センチ)と組んで活動している。2004年の全米選手権では優勝したが、同年の世界選手権は10位に終わった。
2005年9月28日にアメリカ市民権を獲得し、日本国籍を離脱しアメリカ国籍となった。このとき、「できれば日本国籍で(リレハンメル五輪以来12年ぶりの五輪代表となる)トリノオリンピックに参加したかったんですが、日本はペアのレベルが低く選手層が薄いため、オリンピック出場の夢を叶えるためにアメリカ人になる決心をしました。オリンピックのアメリカ代表になれたらとても誇らしいです。ペアは申雪と趙宏博の中国ペアが強いけど、アメリカ代表としてトリノに行きたいと思っています」とコメントしている。日本の女子フィギュアが強くなる前の選手であるため、日本での知名度が低い井上だが、ペアでオリンピックに出場するためには、国籍変更もやむを得ないと言えるだろう。世界選手権と違いオリンピックでは、国籍が違う者同士のペアは出場できない。
井上はボルドウィンとのペアで、全米選手権・四大陸選手権で優勝を果たし、アメリカ代表に選出され(アメリカのペア出場枠は2)トリノオリンピックに出場した。ショートプログラムではペア競技で五輪史上初となるスロートリプルアクセルを成功させ、メダルへの期待がかかったが、フリーでの失敗が響いて、結果として7位入賞にとどまった。しかし、メダリストや上位選手が出場するエキシビジョンには、3回転半ジャンプを成功させたことで7位ながらも特別参加となった。トリノ五輪から1か月後の世界選手権(カナダ.カルガリー)でも、メダルにあと一歩の4位入賞。同10月GPシリーズスケートアメリカ制覇。
肺ガンにより実父を40代半ばで失い、また井上本人も肺ガン・卵巣破裂など辛い闘病生活を送った経験がある。しかし一切病気などを言い訳にせず練習・競技に打ち込む井上と、そしてそんな井上を寛容・理解し"共闘"を続けるボルドウィンの内面性はスケート競技の力量以上に日本人に新鮮・真摯な感動をあたえた。
[編集] テレビ出演または特集された番組
ほか