五島 純玄(ごとう すみはる、1562年(永禄5年)-1594年9月12日(文禄3年7月28日))は、安土桃山時代の武将(大名)。宇久純尭の子。
はじめ宇久氏を称した。1587年、豊臣秀吉に臣従して九州平定に協力したため、所領を安堵された。
1592年から始まった文禄の役に参加したが、出陣中の1594年、天然痘にかかって死去。家督は叔父の五島玄雅が相続した。
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