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三雲 成持(みくも しげもち、天文9年(1540年) - 慶長8年(1603年))は、戦国時代の武将。三雲定持の子。
はじめは南近江の戦国大名・六角氏の家臣として仕えた。1566年、浅井長政との戦いで兄の三雲賢持が戦死したため、家督を継ぐ。翌年には、六角氏の分国法である六角氏式目に署名した。しかし成持は六角氏の家臣というよりは、同盟者とでもいうべき有力な存在だったらしい。寺社を独自に統制したり、恩賞の決裁を独自に行なうなど、その権力は相当なものであったと言われている。
1568年、織田信長の侵攻で六角氏が滅亡した後は浪人となったが、1584年頃に織田信雄、そして蒲生氏郷に仕えた。