三重県立四日市高等学校
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三重県立四日市高等学校 | |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 三重県 |
設立年月日 | 1899年(明治32年)4月1日 |
創立記念日 | 5月23日 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制 通信制 |
学科 | 普通科 |
学科内専門コース | 国際科学コース |
所在地・連絡先 | |
所在地 | 〒510-8501 |
三重県四日市市富田4丁目1-43 | |
電話番号 | 059-365-8221 |
FAX番号 | 059-365-8222 |
外部リンク | 公式サイト |
三重県立四日市高等学校(みえけんりつよっかいちこうとうがっこう)は、三重県四日市市にある公立高等学校。三重二中以来、三泗地区はもとより三重県内でトップクラスの公立高校。県内有数の進学校で、著名な大学へ多数の進学者を出している。1995年まで四日市南高校と群制度を組んでいた。通称は四高(しこう)。
全日制の普通科、普通科国際科学コースとともに、通信制も設置している。全日制と通信制の生徒の間にはほぼ交流はないが、卒業式は一緒に行われる。教育課程は、単位制を採用している。
グラウンドをはさんで真前に近鉄富田駅が見え、地元では交通の便の良さでも知られる。
家庭科室のある建物は宿泊施設となっており、1クラス分の生徒が泊まることができる。1年生の春には、ここを利用してクラス単位で校内合宿が行われていたが、現在は行われていない。
学校内に生活協同組合を設置していたが、規模が小さく(売り場は教室一個分)、経営難のため1998年(?)に購買部へと移行した。
目次 |
[編集] 校風
旧制富田中学校初代校長の田村左衛士(任・1899~1929)が築いた質実剛健の校風が受け継がれているという。 また、「文武両道」をスローガンに学問と部活動の両立を目指している。 旧制富田中学校時代はバンカラ気風の学生が多かったというが、現在は穏やかで真面目な生徒が多いとされる。
[編集] 沿革
[編集] 年表
- 1899年(明治32年) 三重県第二中学校として創立
- 1899年(明治32年) 四日市市立四日市裁縫学校として創立
- 1926年(昭和2年) 三重県富州原町立実科高等女学校として創立
- 1947年(昭和22年) 野球部が第19回全国選抜中等学校野球大会(現:選抜高等学校野球大会)に初出場
- 1948年(昭和23年) 3学校を統合して三重県四日市高等学校創立
- 1954年(昭和29年) 被服科設置
- 1955年(昭和30年) 野球部が第37回全国高等学校野球選手権大会で初出場・初優勝を成し遂げた。三重県勢の優勝は夏の大会ではこの1回のみ、選抜高等学校野球大会を含めても1969年、第41回の三重高校との2回のみである。
- 1967年(昭和42年) 野球部が第49回全国高等学校野球選手権大会に出場。
- 1974年(昭和49年) 三重県立四日市南高等学校と総合選抜制開始
- 1982年(昭和57年) 被服科募集停止
- 1984年(昭和59年) 家政科募集停止、普通科のみとなる
- 1994年(平成6年) 普通科国際科学コース設置
- 1995年(平成7年) 三重県立四日市南高等学校と総合選抜制廃止
- 1999年(平成11年) 創立100周年を迎える
- 2003年(平成15年) 図書館や天体観測ドームがあった建物が改修された。スーパーサイエンスハイスクール(SSH)の指定を受ける。
- 2006年 (平成18年) 三重県立四日市北高校と本校の通信制の統合により三重県立北星高等学校設立 通信制の募集停止
[編集] 教育組織
[編集] 教育方針
勉学と運動の両立を目標とし
個性の伸長と品性の陶冶に努め、
もって我が国及び国際社会における
有為で心豊かな人材を育成する。
(公式ホームページより)
[編集] 学校行事
- 4月:遠足
- 5月:体育大会
- 7月:クラスマッチ
- 8月:学習合宿
- 9月:四高祭
- 10月:修学旅行
- 2月:マラソン大会
- 3月:クラスマッチ
[編集] 生徒会活動・部活動など
[編集] 部活動
[編集] 運動部
バスケットボール、硬式野球、軟式野球、テニス、ソフトテニス、バドミントン、剣道、陸上競技、サッカー、ハンドボール、柔道、卓球、水泳、バトン、山岳、ラグビー、体操、バレーボール、ソフトボール
[編集] 文化部
英語、化学、電氣、天文、生物、放送、新聞、茶道、華道、ギター、吹奏楽、音楽、美術、書道、将棋、文芸、演劇、映画研究、写真、鉄道旅行、調理、インターアクト、ディベート、SSH数理研究会
[編集] 主な成績
- 硬式野球部 : 全国高等学校野球選手権大会(夏の甲子園)出場2回、全国優勝(1955年)、同年国体優勝。選抜大会(春の甲子園)出場1回。
- 女子テニス部 : 生川・島田組が皇后杯優勝(1950年)、インターハイ2連覇、国体3連覇。
- 地学部(現・天文部) : アメリカ初の人工衛星エクスプローラー1号の国内観測第1号(1958年)。
- 放送部 : NHK放送コンクール全国大会30年連続出場。
- ディベート部 : ディベート甲子園全国ベスト8(2002年)。
- 陸上部 : 近年活躍が目立つ。04年から3年連続で、インターハイ、国体に出場。
昭和20年代にはスポーツ校として全国的に知られ、多くの部がインターハイの常連であった。また、1990年代には美術部がほぼ毎年、文部大臣賞を受賞した時期があった。
[編集] 通学手段
[編集] 出身著名人
- 丹羽文雄(作家、文化勲章)
- 竹内義雄(中国哲学、文化功労者)
- 岡田卓也(イオングループ前会長)
- 平田耕一(衆議院議員 元参議院議員)
- 井上哲夫(四日市市長 元参議院議員)
- 田村泰次郎(作家)
- 高橋正勝(夏の甲子園優勝投手、読売ジャイアンツ初代スコアラー、同査定部長)
- 藤田敏八(映画監督)
- 大橋歩(イラストレーター)
- 若林真理子(詩のボクシング初代チャンピオン)
- 岡田邦彦(松坂屋 会長)