三菱銀行人質事件
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三菱銀行人質事件(みつびしぎんこうひとじちじけん)とは1979年1月26日に大阪府大阪市住吉区万代2丁目の三菱銀行(現三菱東京UFJ銀行)北畠支店に猟銃を持った男が押し入り、客と行員30人以上を人質に立てこもった事件。事件発生から42時間後に立てこもっていた梅川昭美(うめかわ あきよし、1948年3月1日 - 1979年1月28日)が警察の特殊部隊に撃たれ死亡した。梅川は警官と行員計4人を射殺、女性行員をも裸にして盾代わりに並ばせるなど残忍で異常な犯行が衝撃を与えた。
この時に梅川の狙撃を担当したのが、特殊急襲部隊(SAT)の前身である大阪府警察第二機動隊零(ゼロ)中隊であった。日本の人質事件が犯人射殺という形で解決したのは1970年の瀬戸内シージャック事件、1977年の長崎バスジャック事件とこの事件の3つだけである。
なお、この事件を題材としたノンフィクションとして毎日新聞社会部編『破滅 梅川昭美の三十年』と福田洋『三菱銀行人質強殺事件』が挙げられる。