三島通陽
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三島通陽(みしま みちはる、1897年1月1日 - 1965年4月20日) は、東京麻布生まれの小説家、劇作家、演劇評論家。子爵。貴族院議員、参議院議員、文部政務次官。学習院卒業。ペンネームに三島章道(みしま しょうどう)。
祖父は三島通庸。父は第8代日本銀行総裁を務めた三島弥太郎、母は四条隆謌侯爵の三女、加根子。妹、梅子の夫は土方与志。
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[編集] ボーイスカウト運動
ボーイスカウト日本連盟初代理事長兼中央実修所所長を経て、ボーイスカウト日本連盟第4代総長。
- 1922年、後藤新平を中心として初の全国組織「少年団日本連盟」が結成されると、25歳の若さで副理事長に選任される。
- 1950年、三島家別荘の土地と家屋(栃木県西那須野町)をボーイスカウト日本連盟に譲渡。その地所は現在、ボーイスカウト日本連盟の常設野営場、那須野営場となっている。
- 1951年、全国総会において第4代総長に選出される。
- 1953年、ボーイスカウト日本連盟より功労章「きじ章」を贈られる。
- 1941年、藍綬褒賞受賞
- 1961年、英国ボーイスカウト連盟より功労章「ブロンズ・ウルフ章」を贈られる。
- 1965年2月25日から3月7日まで毎日新聞に「スカウト十話」を連載。これが絶筆となる。
- 1965年4月20日死去。4月24日に日本連盟葬が執行された。
なお、琵琶湖畔の雄松崎(滋賀県大津市)にある「日本ボーイスカウト初野営の地」の石碑の書は、三島の筆によるものである。
[編集] 著・訳・編書
- 「和譯孟子」(1918、大同館)
- 「パトロールシステム」(1925、著:ローランド・フィリップス)
- 「少年団指導者教範」Aids to Scoutmastership(著:ロバート・ベーデン・パウエル)
- 「満州及上海に正しき日本を観る 附國際聯盟と我裏南洋」(1932、東学社)
- 「世界少年団劇集」(1933、少年団日本聯盟)
- 「校外健児教育」(1933、著:ロアゾウ、少年団日本聯盟)
- 「日満健児工作」(1934、東学社)
- 「伊太利は奮起した」(1939、実業之日本社)
- 「少年団概論」(1939、著:ロアゾウ、教育研究会)
- 「世界児童劇集 附少年団劇集」(1940、章華社)
- 「少年団指導の理念と実践」(1942、三學書房)
- 「音なき交響曲」(1958、宝文館)
- 「十人百話-9 ボ-イスカウト十話」(1965、毎日新聞社)
[編集] 映画
- 「平和の勇士」(1926、社会教育映画研究所)白黒、無声映画
- 指揮:三島章道
- 監督:曽根純三
- 原作/脚本:山村魏
- 出演:松尾文人、井上潔、滝沢憲、児島武彦