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三の丸殿(さんのまるどの、? - 慶長8年2月5日(1603年3月17日))は、織田信長の五女。母は織田信忠の乳母・慈徳院と言われている。豊臣秀吉の側室で、後に二条昭実室にもなった。
蒲生氏郷の養女となって秀吉の側室となる。伏見城三の丸に住んだことから、三の丸殿と称された。1598年3月の醍醐寺の花見では、4番目の輿にて花見に参加する。同年8月に秀吉が没し、その翌年に二条昭実と結婚。1603年に20代後半で死去。法号:韶陽院殿華厳浄春。墓所は京都の妙心寺。