ヴェルサイユ宮殿
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ヴェルサイユの宮殿と庭園 |
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ヴェルサイユ宮殿旧城 | |
(英名) | Palace and Park of Versailles |
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(仏名) | Palais et parc de Versailles |
登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | 文化遺産(1),(2),(6) |
登録年 | 1979年 |
拡張年 | |
備考 | |
公式サイト | ユネスコ本部(英語) |
地図 | |
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ヴェルサイユ宮殿(仏:Château de Versailles) は、1682年、フランス王ルイ14世(1638年-1715年 在位1643年-1715年)が建てたフランスの宮殿。イヴリーヌ県ヴェルサイユにある。ベルサイユ宮殿とも表記される。
フランス絶対王政の象徴的建造物。バロック建築の代表作で、豪華な建物と広大な美しい庭園で有名。
パリの南西22キロに位置する。主な部分の設計はマンサールとル・ブランによっておこなわれ、庭園はル・ノートルによって造営された。
目次 |
[編集] 沿革
- 1624年 ルイ13世の狩猟の館として建てられる
- 1661年-65年 ルイ14世が建築家ル・ヴォーを招き、増築(同じ頃、ルーヴル宮殿の改築も計画されていたが、王がヴェルサイユの方を気にいったため、ルーヴル宮殿の計画は縮小された)
- 1667年-70年頃 ル・ノートルによる造園
- 1675年-82年 セーヌ川にダムを築き噴水工事
- 1668年- ル・ヴォーによる第二次の増築
- 1678年-88年 マンサールによる増築、鏡の間を造る(天井画はル・ブランによる)
- 1699年-1710年 礼拝堂建設
- 1753年-70年 オペラ劇場建設
[編集] 構造
儀式や外国の賓客を謁見するために使われた鏡の間は、1871年にドイツ皇帝ヴィルヘルム1世の即位式が行われ、また第一次世界大戦後の対ドイツとの講和条約であるヴェルサイユ条約が調印された場所でもある。鏡の間にはたくさんの銀製品が飾られていたというが、ルイ14世は晩年になって、スペインとの王位継承争いが続いて戦費の捻出に困り、破産を免れるためにこれらを売って戦費に充てたという。
ヴェルサイユ宮殿にはトイレがきわめて少なく、宮廷の女性の大きくパラソルのように開いたドレスは庭園でそのまましゃがんで生理的な用を足すためである。バラ園の隅などで事が行われたため「花を摘みに行く」という隠語が生まれたなどと言われる。舞踏会の参加者も携帯便器を持参していたという。
[編集] 登録基準
この世界遺産は、世界遺産登録基準における以下の基準を満たしたと見なされ、登録がなされた。
- (1) 人類の創造的才能を表現する傑作。
- (2) ある期間を通じて、または、ある文化圏において、建築、技術、記念碑的芸術、都市計画、景観デザインの発展に関し、人類の価値の重要な交流を示すもの。
- (6) 顕著で普遍的な意義を有する出来事、現存する伝統、思想、信仰、または、芸術的、文学的作品と、直接に、または、明白に関連するもの。(この基準は他の基準と組み合わせて用いるのが望ましいと世界遺産委員会は考えている。)