ヴィルヘルム・ライヒ
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ヴィルヘルム・ライヒ(Wilhelm Reich、1897年3月24日 - 1957年11月3日)は、オーストリア・ハンガリー帝国のガリチア・ドブジャニツァ(レンベルク近郊、ホロドク西部ドブリャヌィ)出身の精神分析家。妻はルイザ。
13歳のとき母親が家庭教師と寝ているところをライヒが父親に密告し母親が自殺。17歳の時に父親が自殺同然の死に方をする。法学部に入学するが、その後ウィーン大学医学部に入学しなおした。学生時代から精神分析について学び、敬愛するジークムント・フロイトからも指導を受けた。だが、数年後ライヒはフロイトに嫌われ、深刻なノイローゼ状態になる。
その後、初期フロイトの路線を強調した上で、精神分析に政治的な視点をもたらし、精神分析とマルクス主義を結びつけようと試みた。性的エネルギーの社会による抑圧からの解放を目指したが、その極端な思想や行動が嫌われ、後に精神分析協会からも共産党からも除名された。
1934年ナチス・ドイツのドイツ国からノルウェーに亡命、オスロ大学で性科学を研究中滅菌した肉汁中の小胞バイオンと1939年バイオンの研究中オルゴンを発見、アメリカ合衆国のテオドール・ヴォルフ博士の招きで渡米、ニューヨークに住む。フリースクールの代表であるサマーヒル・スクールを設立したA・S・ニイルに分析を行い、以後、投獄期間中も含めて親しく交流を持つ。
1939年、New School for Social Researchにおいて準教授の身分で医学心理学の教鞭をとる。
1940年メイン州レーンジュエリーに転居、支援者によりオルゴン研究所「オルゴノン」でロバート・マッカローらとともにオルゴンの研究に取り組んだ。1941年にはアルベルト・アインシュタインにオルゴノスコープ(オルゴン拡大鏡)でオルゴンを見せている。よく知られている物としては、オルゴン蓄積器(オルゴン・アキュムレーター、マスコミ等からは蔑称としてオルゴン・ボックス、セックス・ボックスなどとも呼ばれた)という箱と1951年にラジウムとオルゴンの研究中発生したというオラナーとデッドリーオルゴン(DOR)の雲をなくすため発明したオルゴン放射器のクラウド・バスターなども作成していたことがあげられる。
1954年、UFOを目撃DORを利用した侵略者の宇宙人の宇宙船と直感しクラウド・バスターで撃墜の必要を訴える。
1954年にオルゴン・アキュムレーターの販売が、がん治療機の不法製造販売にあたるとして、FDA(米国食品医薬品局)により裁判を起こされ、裁判所の命令に従わなかったため有罪判決を受け、1957年投獄された。精神分裂病(統合失調症)の可能性が疑われ、精神鑑定が行われた。結果は、オルゴンにまつわるいくつかの妄想的な言動がみられるが、その他の点においてはほぼ正常だったといわれる。出獄することなく、1957年11月3日コネチカット刑務所で心臓発作で死亡した。
ライヒはフリーセックスの風潮が生まれた1960年代に再評価され、日本でも「セクシュアル・レボリューション」が売られ名前を馳せることになる。