ロングエース
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
性別 | 牡 |
---|---|
毛色 | 黒鹿毛 |
品種 | サラブレッド |
生誕 | 1969年4月2日 |
死没 | 1994年3月3日 |
父 | ハードリドン |
母 | ウインジェスト |
生産 | 岡崎牧場 |
生国 | 日本(北海道浦河町) |
馬主 | 中井長一 |
調教師 | 松田由太郎(栗東) |
競走成績 | 10戦6勝 |
獲得賞金 | 6932万7800円 |
ロングエースは日本の競走馬。1972年の東京優駿(日本ダービー)が主な勝ち鞍である。代表産駒はテルテンリュウ、スピードヒーロー。半兄に重賞5勝のロングワン、半弟にスワンステークス優勝馬ロングフアスト(1975年のダービー2着)がいる。
目次 |
[編集] 概要
ロングエースはランドプリンス、タイテエムとともに1972年の日本ダービーで3強を形成した1頭。旧4歳の1月にデビューすると新馬、ヒヤシンス賞、フリージア賞と3連勝、さらにオープンではランドプリンスを破り4連勝、さらに弥生賞でも再びランドプリンスを下し5連勝で重賞初制覇を達成した。
皐月賞では1番人気に推されたがランドプリンスの雪辱を許し3着に敗れた。そしてロングエースは日本ダービーに向かう。人気順はロングエースが1番人気、ランドプリンスとタイテエムがそれに次ぐ人気を集めていた。(この年は馬のインフルエンザが大流行し、日本ダービーが7月に行われたことから、「七夕ダービー」と呼ばれた)レースでは4コーナーでタイテエムが先頭に立つとランドプリンスがその後を追い、さらにロングエースが内から仕掛け3頭の激しい叩き合いになった。結果はロングエースがレコードで1着、その後をクビ、アタマでランドプリンス、タイテエムが入着した。鞍上の武邦彦騎手(現・調教師)は、これが嬉しい初の日本ダービー制覇となり、これ以降、名騎手としてその名を高めていくこととなる。
しかし、秋シーズンでのロングエースは精彩を欠いた上、インフルエンザを克服して秋に復活してきた関東のエース、イシノヒカルに菊花賞と有馬記念で共に敗れ、引退した。
引退後は種牡馬入りし宝塚記念優勝馬テルテンリュウ、スピードヒーロー(日経新春杯、神戸新聞杯)等4頭の重賞馬を輩出しこの時代の日本ダービー馬としては珍しく成功した。さらに日本初の白毛馬ハクタイユーを送り出したことで現在まで直系子孫が残った。
[編集] 年度別競走成績
1972年(10戦6勝)
- 東京優駿、弥生賞
[編集] 主な産駒
- テルテンリュウ(宝塚記念、NHK杯)
- スピードヒーロー(日経新春杯、神戸新聞杯)
- ロンゲット (東京障害特別(春))
- ワイドオー(京都4歳特別)
[編集] 競走馬
ロングエースの血統 (ファリス系/アウトブリード) | |||
父
*ハードリドン Hard Ridden 1955 黒鹿毛 |
Hard Sauce 1948 黒鹿毛 |
Ardan | Pharis |
Adargatis | |||
Saucy Bella | Bellacose | ||
Marmite | |||
Toute Belle 1947 黒鹿毛 |
Admiral Drake | Craig an Eran | |
Plucky Liege | |||
Chatelaine | Casterari | ||
Yssel | |||
母
ウインジェスト 1963 黒鹿毛 |
*ティエポロ Tiepolo 1955 鹿毛 |
Blue Peter | Fairway |
Fancy Free | |||
Trevisana | Niccolo Dell'Arca | ||
Tofanella | |||
*ノルマニア Normannia 1956 黒鹿毛 |
Norman | Norseman | |
Macreuse | |||
Sainte Mesme | Le Pacha | ||
Pereire F-No.5 |