ミール・アフメッド・アリ・カーン・ナイザー
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ミール・アフメッド・アリ・カーン・ナイザー (ナズィール・ジャー、1712年2月15日-1750年12月5日)は、ニザーム藩王国の2代目当主を宣言した人物。
父であるニザーム藩王国始祖アサフ・ジャー1世がアウランガーバードで没した時、統治権の相続者である彼の長男ガズゥーディン・カーン・フィロッツ・ジャンは、父の代理としてデリーのムガル帝国宮廷に出仕していた。この機をついて、次男のミール・アフメッド・アリ・カーン・ナイザーは、ニザーム藩王国軍とその宮廷貴族達の支持を取り付ける事に成功した。彼は国庫を奪取し、アウランガーバードでデカン地方の統治者を宣言した。しかし、アサフ・ジャー1世の甥であるムザファー・ジャンはこれに強行に反対した。この跡目争いの間隙をついて、マラータ族がハイデラバードを襲い、鎮圧軍を派遣して手薄となったミール・アフメッド・アリ・カーン・ナイザーは、ムガル帝国のパターン族太守に殺害された。彼にアサフ・ジャーの称号は、与えられていない。
- 歴代ニザーム藩王国の藩王
- 1748-1750
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- 先代:
- ミール・カマルディン
- 次代:
- ヒダヤス・モヒュディン・カーン