ミハイル・ロマノフ
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ミハイル・フョードロヴィッチ・ロマノフ(Михаи́л Фёдорович Рома́нов / Mikhail Feodorovich Romanov, 1596年7月12日 - 1645年7月13日、在位:1613年 - 1645年)は、ロマノフ朝初代ツァーリ、モスクワ大公。リューリク朝の外戚。モスクワ大公国の有力貴族たちは、リューリク朝以降の混乱期を経て、ミハイルをモスクワ大公に選んだ。
16歳で家督を継ぎ、治世初期は父である摂政フィラレートが主に政務を行った。
1613年、イヴァン4世の死後の後継者争いで混乱し、収拾のつかなくなっていたロシアは、ロシア全国会議で大叔父イヴァン帝の後継者としてミハイルをツァーリに選出した。
ミハイル自身は意志が弱く、また病弱であったため、政治は自ら進んではほとんど行わなかった。