ミハイル・カシヤノフ
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ミハイル・ミハイロヴィッチ・カシヤノフ(Михаи́л Миха́йлович Касья́нов, Mikhail Mikhailovich Kas'yanov 1957年12月8日 - )はロシアの政治家。ウラジーミル・プーチン政権第一期の首相。英語に堪能。
1957年12月8日ソビエト連邦ロシア連邦共和国のモスクワ州ソンツェヴォに生まれる。1983年モスクワ自動車道路大学(MADI)を卒業し、ゴスプラン(国家計画委員会)に技師として勤務する。1990年ロシア国家経済委員会対外経済部長。1991年ロシア国家経済委員会が、経済省に改組され対外経済局副局長、局長となる。1993年対外債務局局長を経て、1995年大蔵次官に就任する。次官時代は、ロシア通貨危機では、欧米諸国との債務交渉においてロシア側の代表を務めた。1999年8月大蔵大臣に就任。2000年1月プーチン大統領代行によって、第一副首相を兼務する。 同年5月より首相。カシヤノフは、元の急進改革派、リベラル派の一定の支持を得ていた他、プリマコフ内閣第一副首相でソ連時代ゴスプラン議長を務めたユーリ・マスリュコフからも後押しされていた。官僚出身ということもあり、その政治姿勢は慎重で自らの政治姿勢を明確にするというようなことは避けていたが、一方で新興財閥(オリガルヒ)との密接な関係が指摘され、必ずしも政治的基盤は安定していなかった。また、プーチンの対抗馬として大統領候補としてカシヤノフの名が挙がるなどしたことから、次第にプーチン及び、プーチン政権内のシロヴィキから白眼視されるようになり、プーチン再選後の2004年3月、首相を解任された。
首相解任後、プーチン批判を展開し、2008年予定のロシア連邦大統領選挙に立候補を表明している。
- ロシアの首相
- 2000年 - 2004年
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- 先代:
- ウラジーミル・プーチン
- 次代:
- ヴィクトル・フリステンコ(代行)