マルセル・デュプレ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
![]() |
クラシック音楽 |
---|
作曲家 |
ア-カ-サ-タ-ナ |
ハ-マ-ヤ-ラ-ワ |
音楽史 |
古代 - 中世 |
ルネサンス - バロック |
古典派 - ロマン派 |
近代 - 現代 |
楽器 |
鍵盤楽器 - 弦楽器 |
木管楽器 - 金管楽器 |
打楽器 - 声楽 |
一覧 |
作曲家 - 曲名 |
指揮者 - 演奏家 |
オーケストラ - 室内楽団 |
音楽理論/用語 |
音楽理論 - 演奏記号 |
演奏形態 |
器楽 - 声楽 |
宗教音楽 |
メタ |
ポータル - プロジェクト |
カテゴリ |
マルセル・デュプレ(Marcel Dupré, 1886年5月3日 - 1971年5月30日)はフランスのオルガニスト・作曲家。
ルーアンの音楽一家に生まれる。神童であったが、パリ音楽院には1904年に入学し、シャルル=マリー・ヴィドールと、アレクサンドル・ギルマン、ルイ・ヴィエルヌほかに師事した。1914年にカンタータ《プシシェ》によってローマ大賞を受賞。1926年にオルガン科教授としてパリ音楽院に復帰した。
欧米各地で2000回以上のオルガン演奏会を行い、有名になる。1920年の演奏会では、全10回にわたってバッハのオルガン作品全曲を暗譜で演奏した。またこの時期、自動再生オルガンにもバッハ作品や自作を録音している。1934年に、ヴィドールの後任オルガニストとして、サン・シュルピス教会に勤務。1947年にアメリカ音楽院総長に就任した。また同年から1954年までフォンテーヌブロー音楽院院長に、1954年から1956年までパリ音楽院院長に就任した。
作曲家としては、広範囲にわたる作品番号つきの65曲を作り出し、オリヴィエ・メシアン、ジャン・ラングレー、ジャン・アラン、マリー=マドレーヌ・デュリュフレ=シュヴァリエ、ガストン・リテーズ、マリー・クレール・アラン、ジャンヌ・ドゥメシウ、ロランド・ファルシネリ、アレクサンダー・シュライナー、ヴァージル・フォックス、ピエール・コシュロー、ジャン・ギユー、マイケル・マレーといったオルガニストを、2世代にわたって輩出した。
デュプレは作曲のほかに、バッハ、ヘンデル、モーツァルト、メンデルスゾーン、シューマン、リスト、フランクなどの作品の校訂を行なった。和声法やオルガン建造法、音楽理論、音響学、即興演奏法、オルガン奏法教則本などの理論的な著作も残した。
活動の焦点は常にオルガンに定まっていたが、作品はオルガン曲だけでなく、ピアノ曲や室内楽曲、管絃楽曲、合唱曲も含まれる。現在100点以上の録音が利用可能である。
1971年にパリ近郊のムドンに没した。