マニー・ラミレス
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マニー・ラミレス(Manuel Arístides "Manny" Ramírez, 1972年5月30日 - )はドミニカ共和国サント・ドミンゴ出身のアメリカメジャーリーグ、ボストン・レッドソックスの外野手。右投げ右打ち。現代メジャーリーグ屈指の好打者であり、スラッガーである。驚異的に打点を稼ぐことからアメリカではRBI Machineとも呼ばれる。
[編集] 経歴
ドミニカ共和国のサント・ドミンゴで生まれ、13歳の頃に家族と共にニューヨークへ移り住む。ジョージ・ワシントン高校を卒業後、ドラフト対象選手となりクリーブランド・インディアンズに1位(全米13位)指名を受け入団。
1991年
- プロ1年目はルーキーリーグで59試合に出場し19HR、63打点で2冠王となる。他にも打率.326で3位、長打率・塁打数でもリーグ1位、4試合連続本塁打を記録するなどし、ベースボール・アメリカにショートシーズン・プレーヤー・オブ・ザ・イヤーに選ばれている。
1992年
- 1Aなどでプレー。この年はケガによる欠場もあったが、5月1日から6月30日にかけて47試合で47打点を記録するなど活躍した。
1993年
- マイナーリーグで129試合に出場し打率.333、31HR、115打点を記録。9月1日にメジャーへ昇格、翌日のミネソタ戦でメジャー初出場を果たす。デビュー戦の成績は4打数無安打に終わるが、翌日のヤンキース戦ではメジャー初ヒットに加えメジャー初本塁打も記録する。この日は4打数3安打、二塁打1・本塁打2・打点3・得点3と大活躍であった。この年のメジャーでの出場は22試合、打率.170、2HR、5打点を記録。因みにこの年のマイナーリーグ・オブ・ザ・イヤーに選ばれている。
1994年
- メジャーに定着し91試合に出場、打率.269、17HR、60打点を記録(規定打席には及ばず)。安打数、二塁打、本塁打、打点など、ほとんどの打撃カテゴリーでア・リーグの新人中2位の成績をあげ、ア・リーグ新人王投票でも2位となる。
1995年
- インディアンスの外野の定位置を確保(右翼)し137試合に出場。5月には打率.394、11HR、27打点、8二塁打の成績で初の月間MVPを獲得。8月4日のホワイトソックス戦では自身初の満塁本塁打を記録。また、監督推薦による初のオールスター出場を果たし、チームのワールド・シリーズ進出にも貢献した(自身初のワールド・シリーズでは本塁打も記録したが、ブレーブスに2勝4敗で敗退)。レギュラー・シーズンの成績は打率.308、31HR、107打点でシルバースラッガー賞を初受賞。因みに、23歳以下で30HR・100打点を記録した選手は彼が大リーグ史上25人目(チーム史上2人目)、アルバート・ベルと共に放った本塁打の合計81本はコンビ合計本塁打のチーム歴代新記録である。また、チームと2000年シーズンまで4年の延長契約を結んでいる。
1996年
- 152試合に出場し、軒並み前年を上回る打率.309、33HR、112打点を記録。年間のグランドスラム3発はア・リーグトップタイ。また、ア・リーグ最多となる19の外野捕殺を記録。
1997年
- 150試合に出場し、ア・リーグ4位となる打率.328(184安打は同7位)、他に26HR、88打点、満塁本塁打3本を記録。チームの2年ぶりのワールドシリーズ進出にも貢献した(7戦でマーリンズに敗退)。
1998年
- 前年から打率は下がったものの本塁打を量産し、監督推薦により2度目のオールスター出場を果たす。シーズン終盤の打撃は特に凄まじく、9月15日ブルージェイズ戦に1試合3HR、翌日にかけて4打数連続アーチ、更に9月15~19日の5試合で8HRと打ちまくった(5試合で8HRは1968年のフランク・ハワード以来史上2人目)。最終的には150試合の出場で打率.294、45HR(ア・リーグ3位)、145打点(同4位)を記録。ア・リーグMVP投票では6位に食い込んだ。また、この年の日米野球のメンバーとして来日し特大のホームランを放っている。
1999年
- この年は打撃が好調で本塁打と打点を量産、「シーズン200打点を記録するのでは」と話題になり、オールスターにも初めてファン投票で選出される。9月30日のブルージェイズ戦、それまで161打点を稼いでいたラミレスは3ランホーマーを放ち、1936年にハル・トロウスキーが記録したシーズン162打点のチーム記録を更新する。結局147試合に出場しア・リーグ5位となる打率.333、同3位の44HR、そして打点王となる165打点の成績を残す。160打点以上は1938年に大打者ジミー・フォックスが175打点を記録して以来61年ぶり、2年連続の130打点以上はインディアンス史上初の快挙であった。また、1試合あたり1.12打点は1931年のベーブ・ルース、1935年のハンク・グリーンバーグに並ぶ歴代10位タイ。打者の三冠部門においてすべてア・リーグ5位以内に入る活躍で、この年に設けられたハンク・アーロン賞、2度目のシルバースラッガー賞を受賞、MVP投票でも3位となる。
2000年
- 4月9日デビルレイズ戦で通算200号本塁打を放つも5月にメジャー昇格後、初めて故障者リストに入る。39試合ぶりの復帰からシーズン終了までに71試合で打率.371、25HR、75打点と活躍するが、彼の長期離脱はチームに大きく影響しインディアンスはポストシーズン進出を逃してしまう。自身は6月18日アストロズ戦で通算1,000本安打、8月15日から9月5日まで自己最高となる20試合連続安打を記録。4度目となるオールスターにファン投票により選出されている。また、この年のオフにFAとなるラミレスの動向はシーズン前から注目されており、彼のシーズン最後の打席では地元ファンによる残留を求める熱烈な声援が送られた。彼はこの打席で特大のホームランを放つが、結局これがインディアンスでの最後の打席となる。最終的にインディアンス最後のこの年は118試合に出場し打率.351、38HR、122打点を記録。打率はア・リーグ3位、本塁打は9位、打点は8位、更に長打率も2年連続ア・リーグ1位で、MVP投票でも6位につけている。
2000年オフ
- FAの超目玉であるラミレスが示した希望額は8年1億6000万ドルという破格の金額であった。また、長くプレーしたいと思っていたラミレスは、将来的にDHになることを考えていたためア・リーグのチームを希望していた。これに対しヤンキースを始め複数の球団が獲得の意思を示したが、最終的には2チームに絞られる。一つはラミレス自身がプレーしたいインディアンス、もう一つはラミレスの希望額の満額を唯一提示したレッドソックスである。インディアンスは球団の方針として、一人の選手に対してチームの合計サラリーの29%を超える年俸は支払わないことを決めていた為その範囲で支払える満額をオファーしていたが、ラミレスの希望額には及んでいなかった。結局、悩みぬいた末にラミレスはレッドソックスを選択、会見でレッドソックスのユニフォームに袖を通すと「ヤンキースが勝つのはもう見飽きた」とコメントし、打倒ヤンキースを誓う。この程のラミレスの契約はアレックス・ロドリゲスの10年2億5200万ドルに次ぐ大型契約であった。
2001年
- レッドソックスへと移籍したラミレスのオープン戦での成績は打率.138、本塁打はたったの1本と散々な数字で批判が相次いだが、いざレギュラーシーズンに入るとその実力を発揮する。開幕戦からヒットを放つと、本拠地フェンウェイパーク初打席の初球をいきなり3ランホームラン。移籍後初のヤンキース戦では延長10回にマリアーノ・リベラから2点タイムリーを放つなど、4月は打率.408、9HR、31打点の活躍で月間MVPを獲得する。5月も26試合で打率.347、7HR、27打点と好調を維持。シーズン通算では142試合に出場し打率.306、41HR(ア・リーグ4位)、125打点(同4位)を記録。優勝、個人タイトルは逃したものの、ノマー・ガルシアパーラら主力のケガ人が相次いだレッドソックス打線を引っ張り、MVP投票では9位にランクされた。また、シーズン前、伝統のレフトかDHかと話題になったポジションは、55試合でレフト、それ以外は主にDHであった。
2002年
- 迎えた5月11日のマリナーズ戦でアクシデントが起こる。それまで33試合で打率.372、9HR、35打点と例年通りのハイレベルな打撃でチームを引っ張っていたラミレスであったが、3回に味方のヒットで二塁から一気にホームへ突入するが、ヘッドスライディングの際に手の指を骨折してしまう。結局、故障者リスト入りしてしまうと39試合の欠場を余儀なくされ、復帰後も不調で打率が.310まで急降下してしまう。しかし夏場には本来の調子を取り戻し8月の月間打率は.373、とくに8月13日からシーズン最終戦までの44試合では打率.414を記録し、終わってみればシーズン通算で打率.349を記録し初のア・リーグ首位打者を獲得する。更に119試合の出場にとどまりながらア・リーグ9位となる33HR、稼いだ打点も107を数え5度目のシルバースラッガー賞を獲得し、MVP投票でも9位につけた。また、この年6度目のオールスター出場も果たしている(4年連続となるファン選出)。
2003年
- 自己最多となる154試合に出場し打率.325、37HR、104打点を記録。打率は1厘差でア・リーグ2位、本塁打は7位で185安打も自己ベスト。5年連続6度目のシルバースラッガー賞を受賞、MVP投票でも6位につける。オールスターにも先発出場を果たした。この年、チームメイトのデビッド・オルティス、トロット・ニクソンとはそれぞれ9回づつアベックアーチを記録しており、年間の回数ではチーム歴代5位タイである。因みにこの年のレッドソックスはチームの年間長打率のメジャー新記録を樹立した。
- シーズンオフ、球団にアレックス・ロドリゲスとのトレードの動きがあったが成立寸前に破談となる。しかし、このことが原因でラミレスと球団フロントとの間に軋轢が生じることとなる。
2004年
- チームトップの152試合に出場し打率.308、43HR、130打点を記録、初のア・リーグホームラン王となり、これで打率・打点・本塁打の打撃主要3部門全てを獲得した打者となる。30HR・100打点以上は7年連続(この7年では他にアレックス・ロドリゲスだけ)。満塁弾も2本放っており通算17本は歴代5位、当時の現役ではロビン・ベンチュラに次ぐ2位。7度目のシルバースラッガー賞受賞、8度目のオールスターではロジャー・クレメンスから2ランアーチを放っている。また、同僚のオルティスとは、ア・リーグでは1931年のベーブ・ルース、ルー・ゲーリッグのペア以来となる、共に3割・40HR・100打点を記録したペアとなり、大リーグ史上初の、共に40HR・40二塁打を記録したペアとなった。この年、米国籍も取得している。
2004年ポストシーズン
- この年のプレーオフでは全14試合に出場し60打数21安打、打率.350、2HR、11打点を記録。自身3度目となるワールドシリーズでは17打数7安打、打率.412、1HR、4打点と活躍。第3戦ではジム・エドモンズの飛球を捕るとすかさず本塁へダイレクト送球、見事にラリー・ウォーカーをしとめるファインプレーなどでチーム86年ぶりの世界制覇に大きく貢献し、ワールドシリーズMVPに選出されている。
2005年
- 152試合に出場し打率.292、45HR、144打点。9度目のオールスター出場(5年連続ファン選抜)、8度目のシルバースラッガー賞受賞。歴代8人目の8年連続30HR・100打点プレーヤーとなる。12.3打数に1本の本塁打率、3.8打数に1打点の打点率、外野補殺17は全てア・リーグ1位。グランドスラム3本はア・リーグトップタイ。通算満塁本塁打数を20に伸ばしゲーリッグの23本に次ぐ歴代2位としている。本塁打はア・リーグ3位、打点は2位の記録である。
- この2シーズン(2004・2005)のオルティスとのデュオは特に凄まじく、2年で打った合計の本塁打は共にメジャー最多の88本、打点はオルティスがメジャートップで計287打点、2位がラミレスで274打点を記録。これらの数字は1930-31年にルースが49HR・153打点と46HR・163打点、ゲーリッグが41HR・174打点と46HR・184打点を記録して以来の数字である。因みに2人共に2年連続40HRは球団史上初の快挙。また、05年だけでも、2人で計92HRは球団新記録、計292打点は1949年のテッド・ウィリアムスとヴァーン・ステフェンズが記録した318打点(159+159)に次ぐチーム歴代2位、共に40HR・140打点以上は1931年のルース、ゲーリッグ以来となるメジャー史上74年ぶりの記録であった。
- オフには、もうレッドソックスではプレーしないと公言し、球団側もトレード交渉を進めるが高額のサラリーがネックとなりことごとく破談に終わっている。また、WBCドミニカ共和国代表に選出されていたが大会直前になって突然辞退した(理由は不明)。
2006年
- 130試合に出場して.321、35HR、102打点。開幕から16試合本塁打なしと出遅れたが、6月10日のレンジャーズ戦で、史上31人目となる通算450号ホームランを達成。7月1日のマーリンズ戦では通算2000本安打をホームランで達成した。さらに8月3日のインディアンズ戦では史上46人目となる1500打点を達成するなど、節目となる記録が相次いだ。また、7月15日から8月12日まで27試合連続安打を記録した。8月中盤には打撃3部門いずれも5位までに入るなど安定感を見せていたが、右膝を痛めて休みがちとなり、チームのプレーオフ進出が困難となった8月終盤以降は数試合に出場するのみであった。
- 前年に引き続き主に4番打者として出場したが、3番オルティスが54HR(メジャー2位)、長打率.636(同4位)という打ちっぷりだったこと、また5番にそれほどの打者がいなかったことで、彼の打席はオルティスの一発で走者がいないか、走者がいても一塁が空いていれば四球で歩かされることが多く、彼にしては打点数が伸びず、一方で出塁率はトラビス・ハフナーと並ぶメジャートップの.439、四死球も少ない出場試合数で自己最多の100に上った。
- オフにはやはりトレード騒動が持ち上がった。チームが松坂大輔取得にあたって要する多額の資金を、ラミレス放出で埋め合わせするのではないかとの憶測のもと、ドジャーズやジャイアンツなど具体的な球団名とともに盛んに報道されたが、12月に入り、結局残留の方向で落ち着いた。
[編集] 特筆
- A-ロッド、ケン・グリフィーJr、ボンズ、最近ではプホルス、オルティスの台頭もあって日本では常に他のスター選手の影に隠れがちだが、アメリカでは常に前述の選手たちと共に名を挙げられている存在である。とりわけ今後キャリアの後半にかけて、ハンク・アーロンが持つ本塁打や打点の通算記録をはじめとした各種の記録にどこまで迫れるかが注目されていくであろう。
- 多少守備に難があり、また好人物と言われているが気まぐれな発言やあからさまにやる気のないプレーを見せるなど気持ちに波が大きい。それが原因でレッドソックスをクビになりかけたこともしばしばで、彼のトレードを巡る噂は近年のシーズンオフの風物詩となっているが、結局実現せずに終わっている。
[編集] 獲得タイトル・記録・年度別打撃成績
- 首位打者:1回、2002年(.349)
- 最多本塁打:1回、2004年(43)
- 最多打点:1回、1999年(165打点)
- オールスターゲーム選出:10回 1995年、1998年-2006年(そのうち99年-05年の7回は先発。2006年は外野手最多得票で選出されるも負傷により出場は辞退)
※2006年成績はシーズン全日程終了時のもの
年度 | チーム | 試合 | 打数 | 得点 | 安打 | 二塁打 | 三塁打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 四球 | 三振 | 打率 | 出塁率 | 長打率 |
1993 | CLE | 22 | 53 | 5 | 9 | 1 | 0 | 2 | 5 | 0 | 2 | 8 | .170 | .200 | .302 |
1994 | CLE | 91 | 290 | 51 | 78 | 22 | 0 | 17 | 60 | 4 | 42 | 72 | .269 | .357 | .521 |
1995 | CLE | 137 | 484 | 85 | 149 | 26 | 1 | 31 | 107 | 6 | 75 | 112 | .308 | .402 | .558 |
1996 | CLE | 152 | 550 | 94 | 170 | 45 | 3 | 33 | 112 | 8 | 85 | 104 | .309 | .399 | .582 |
1997 | CLE | 150 | 561 | 99 | 184 | 40 | 0 | 26 | 88 | 2 | 79 | 115 | .328 | .415 | .538 |
1998 | CLE | 150 | 571 | 108 | 168 | 35 | 2 | 45 | 145 | 5 | 76 | 121 | .294 | .377 | .599 |
1999 | CLE | 147 | 522 | 131 | 174 | 34 | 3 | 44 | 165 | 2 | 96 | 131 | .333 | .442 | .663 |
2000 | CLE | 118 | 439 | 92 | 154 | 34 | 2 | 38 | 122 | 1 | 86 | 117 | .351 | .457 | .697 |
2001 | BOS | 142 | 529 | 93 | 162 | 33 | 2 | 41 | 125 | 0 | 81 | 147 | .306 | .405 | .609 |
2002 | BOS | 120 | 436 | 84 | 152 | 31 | 0 | 33 | 107 | 0 | 73 | 85 | .349 | .450 | .647 |
2003 | BOS | 154 | 569 | 117 | 185 | 36 | 1 | 37 | 104 | 3 | 97 | 94 | .325 | .427 | .587 |
2004 | BOS | 152 | 568 | 108 | 175 | 44 | 0 | 43 | 130 | 2 | 82 | 124 | .308 | .397 | .613 |
2005 | BOS | 152 | 544 | 112 | 162 | 30 | 1 | 45 | 144 | 1 | 80 | 119 | .292 | .388 | .594 |
2006 | BOS | 130 | 449 | 79 | 144 | 27 | 1 | 35 | 102 | 0 | 100 | 102 | .321 | .439 | .619 |
Total | ' | 1817 | 6575 | 1258 | 2066 | 438 | 16 | 470 | 1516 | 34 | 1054 | 1451 | .314 | .411 | .600 |