ポンサックレック・グラティンデーンジム
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基本情報 | |
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本名 | {{{realname}}} |
あだ名 | Pongsaklek Sitkanongsak |
階級 | フライ級 |
国籍 | {{{nationality}}} |
誕生日 | {{{birth_date}}} |
出身地 | {{{birth_place}}} |
命日 | |
死地 | |
スタイル | サウスポー |
プロボクシング戦績 | |
総試合数 | 60 |
勝ち | 58 |
KO勝ち | 31 |
敗け | 2 |
引き分け | 0 |
無効試合 | 0 |
ポンサックレック・グラティンデーンジム(Pongsaklek Wonjongkam、1977年8月11日-)はタイ人プロボクサー。タイ王国ナコンラチャーシーマ出身。本名はポンサクレック・ウォンジョンカム (Pongsaklek Wonjongkam)。
2006年6月30日、エベラルド・モラレス(メキシコ)に3回TKO勝ちで15度目の防衛に成功すると共にミゲル・カントの持つ階級最多防衛記録を更新した。(亀田興毅との対戦を希望していたが、亀田陣営がだだをこねて破談となり、結局、亀田興毅がライトフライ級へ転向したため実現できるか微妙である。)
また、タイで亀田興毅とスパーリングを行ったことがある。
その際、亀田は「ポンサクレックをボコボコにしてやった。試合だったら俺がKO勝ちしていたな」とポンサクレックを評していた。
しかし、当のポンサクレックは「スパーリングは試合じゃないんだよ。スパーリングは、実戦の技術を磨く場であり、相手をKOするためのものではない。亀田は、スパーリングでも本気で倒そうとしているから話にならないよ。亀田は典型的なジムファイターだ」と亀田を切り捨てた。
目次 |
[編集] 来歴
- 2001年3月2日 マルコム・ツニャカオ(フィリピン)を1RTKOで下してWBC世界フライ王座獲得
- 2001年7月15日 浅井勇登(緑ジム)を5RTKOで下し同王座初防衛。
- 2001年10月26日 アレックス・ババ(ガーナ)に8R負傷判定で勝利。同王座2度目の防衛成功。
- 2001年12月6日 ルイス・ラサルテを2RTKOで下し、同王座3度目の防衛成功。
- 2002年4月19日 内藤大助を1RKOで下す(フライ級史上最速のタイム)。同王座4度目の防衛成功。
- 2002年9月6日 ヘスス・マルティネス(メキシコ)を12R判定で下し、同王座5度目の防衛成功。
- 2002年11月26日 本田秀伸(グリーンツダ)を12R判定で下し、同王座6度目の防衛成功。
- 2003年6月6日 ランディ・マングバット(フィリピン)に12R判定勝ち。同王座7度目の防衛成功。
- 2003年11月14日 フセイン・フセイン(オーストラリア)に12R判定勝ちし、同王座8度目の防衛成功。
- 2004年1月3日 トラッシュ中沼に12R判定勝ちし同王座9度目の防衛成功。
- 2004年7月15日 ルイス・マルティネス(メキシコ)を5RTKOで下し、同王座10度目の防衛成功。
- 2005年1月29日 小松則幸(エディタウンゼント)を5RTKOで下し同王座11度目の防衛成功。
- 2005年10月10日 内藤大助(宮田)を7R負傷判定で下し同王座12度目の防衛成功。
- 2006年2月16日 ヒルベルト・ケブ・バース(メキシコ)を12R判定で下し同王座13度目の防衛成功。
- 2006年5月1日 中広大悟(広島三栄)を12R判定で下し同王座14度目の防衛成功。
- 2006年6月30日 エヴェラルド・モラレス(メキシコ)を4RTKOで下し同王座15度目の防衛成功。
[編集] 戦績
- ムエタイ:42戦13敗1分け
- アマチュアボクシング:不明
- プロボクシング:57戦55勝30KO2敗
[編集] 獲得タイトル
[編集] 関連記事
[編集] 外部リンク
前王者 ムズキシ・シカリ |
第3代WBU世界ライトフライ級王者 1997年3月28日 - 1998年 |
次王者 マシブレレ・マケプラ |
前王者 マルコム・ツニャカオ |
第33代WBC世界フライ級王者 2001年3月2日 - |
次王者 N/a |