ホリスキー
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性別 | 牡 |
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毛色 | 黒鹿毛 |
品種 | サラブレッド |
生誕 | 1979年4月13日 |
死没 | 2003年11月29日 |
父 | マルゼンスキー |
母 | オキノバンダ |
生産 | 鍋掛牧場 |
生国 | 日本(栃木県黒磯市) |
馬主 | 堀川三之助 |
調教師 | 本郷重彦(美浦) |
競走成績 | 19戦5勝 |
獲得賞金 | 1億8347万4300円 |
ホリスキーは、日本の競走馬。名馬マルゼンスキーの初年度産駒で、おもな勝ち鞍として父が出走できなかったクラシックの1つ菊花賞がある。また主戦騎手であった菅原泰夫はホリスキーの勝利で史上3人目の菊花賞連覇を成し遂げた。また、勝ちタイムの3:05.4は当時のレコードタイムであり、菊花賞レコードは10年後のライスシャワーまで破られることがなかった。10年間、菊花賞で3分5秒台の勝ちタイムがないことを考えると、偉大な記録といえる。
[編集] 戦績
1982年1月に東京競馬場でデビュー。新馬戦を惨敗した後、翌月の中山競馬場の未勝利戦で9馬身差で圧勝し初勝利をあげる。
その後、条件戦の連勝等もあり、東京優駿(日本ダービー)に駒を進めるもバンブーアトラスに大きく離された9着に終わる。
秋は条件戦を一戦挟んで菊花賞に出走。9番人気と低評価ではあったが(なお、一番人気はハギノカムイオー)、ハギノカムイオーの大逃げも影響してかレコードで快勝。父マルゼンスキーに八大競走勝利をプレゼントした。
その後は、慢性的な脚部不安にも悩まされ、オープン1勝に終わったものの、1983年の天皇賞(春)で2着、翌年の同レースでも3着に入着するなど、長距離戦で力を発揮した。そして2000メートルに距離短縮された天皇賞(秋)を最後に現役引退した。
[編集] 引退後
引退後は、アロースタッドで種牡馬入りした。マルゼンスキーの後継として期待されたが、産駒はGIを勝つことができず種牡馬として父を越えることは出来なかった。 代表産駒には、高松宮杯と京阪杯を勝ったロンシャンボーイやシンホリスキー(スプリングステークス、きさらぎ賞)、ストロングカイザー(セントライト記念)、ラガーチャンピオン(セントライト記念)、ユキノサンライズ(中山記念、中山牝馬ステークス、フラワーカップ)等がいる。
2003年に種牡馬引退。その年の11月、アロースタッドにて老衰から来る心不全により死亡した。
[編集] 血統表
ホリスキーの血統 ニジンスキー系(ノーザンダンサー系) | |||
父
マルゼンスキー 1974 鹿毛 |
Nijinsky II 1967 鹿毛 |
Northern Dancer | Nearctic |
Natalma | |||
Flaming Page | Bull Page | ||
Flaring Top | |||
*シル Shill 1970 鹿毛 |
Buckpasser | Tom Fool | |
Busanda | |||
Quill | Princequillo | ||
Quick Touch | |||
母
オキノバンダ 1970 鹿毛 |
*オンリーフォアライフ Only For Life 1960 黒鹿毛 |
Chanteur | Chateau Bouscaut |
La Diva | |||
Life Sentence | Court Martial | ||
Borobella | |||
メジロビーナス 1963 栗毛 |
*ガルカドール Galcador |
Djebel | |
Pharyva | |||
Valenciana | Pharis | ||
Djama |