ホテルエンパイア
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遊園地の横浜ドリームランドに併設される形で1965年(昭和40年)3月28日に開業し、ちょうど30年後の1995年(月日不明)に閉鎖された。開業当初は周辺にホテルが少なかったため、松竹大船撮影所が隆盛していた頃は、役者はこのホテルに泊まり込んだという逸話もある。宿泊料金は一人あたり4000円~1万円(ツインルーム、1968年当時)だった。これは隣接するホテルドリームランドが一人あたり700円~1500円(ツイン)だったことから、いかにホテルの格調が高かったことが伺える。
[編集] 旧ホテル建築物について
大林組により1965年に竣工した。地下2階地上21階高さ68メートル、工事期間は僅か1年という突貫工事だった。
最上階の21階は回転する構造になっており、回転展望レストランとして営業された。21階にしたのは来るべき21世紀を象徴してのことで、ホテルでありながら和風建築(松尾國三社長が言う桃山建築)にしたのは、「日本にしかない、日本でしか出来ないホテルを目指すべき」という、理念に基いているためである。
五重塔を伸ばして二十段にしたような独特の形状で、高台の上に建っており近くに高い建物や大きな山が存在しないことから、多少離れた場所からでも極めて目立つ建造物で、付近がまだまだ田園地帯だった完成当初はひときわ異彩を放つ存在であった。その後開発によって宅地化が進んでも、ホテルエンパイアの建物は横浜ドリームランドの観覧車とともに周辺一帯(戸塚区および藤沢市)のランドマークとして長年親しまれていた。
1995年に廃業・閉鎖されてから改装工事(後述)が着手された2005年に至るまでの10年間は、誰も手をつけることなく廃墟同然の姿となり、一時期は地元の暴走族等の溜り場となりかけたが、後に警備会社による厳重なオートセキュリティー管理がなされるようになった。
横浜ドリームランドが2002年2月17日に閉園されて以降、ドリームランドモノレールの軌道、観覧車・潜水艦等の遊戯施設など、ドリームランドに関連する多くの施設、建造物が次々に解体撤去される中、往時を偲ぶことのできる数少ない建物の一つとなっていた。
その後、紆余曲折を経てドリームランド跡地を買収した都築第一学園によって2005年に改装工事が着手され、同学園によって2006年に開校された横浜薬科大学の図書館棟になった。この工事により、屋根先端の相輪を模した避雷針や中間階の屋根状の装飾が撤去され、外壁材も明るい色のパネルに交換されたため、五重塔のようだった外観は大きく変貌している。