フェルナンド・バレンズエラ
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フェルナンド・バレンズエラ(Fernando Anguamea Valenzuela、1960年11月1日 - )は、元メジャーリ-グの投手。左投げ左打ち。メキシコ・ソノラ州出身。
メキシコの農場を経営する一家の12人兄弟の末っ子として生まれる。生年月日は公式には1960年11月1日とされているが、1955年生まれともいわれる。メキシカンリーグで投げている時にメジャーのスカウトから注目され、1979年にロサンゼルス・ドジャースと契約。しばらくマイナーリーグで過ごし、1980年9月15日にメジャーデビュー。1年目はリリーフで10試合に投げ2勝1セーブを挙げる。
翌1981年は先発ローテーション入りし、新人としてはメジャー最長となる開幕8連勝をマーク。オールスターにも出場し、新人ながらナショナルリーグの先発を務めた。その年は13勝7敗、防御率2.48で、新人王とサイ・ヤング賞を史上初めてダブル受賞した。チームもワールドシリーズに進出し、ニューヨーク・ヤンキースを破りワールドチャンピオンに輝いた。彼も第3戦で完投勝利を挙げ優勝に貢献した。
1986年には21勝11敗で最多勝のタイトルを獲得。オールスターでは5者連続奪三振を記録した。1983年には史上初の100万ドルプレーヤーとなった。1990年6月29日のセントルイス・カージナルス戦でノーヒットノーランを達成。彼の熱狂的なファンは「フェルナンド・マニア」と呼ばれた。
ドジャースのほか5チームで投げて1997年に引退した。その後もメキシカンリーグで投げた。2006年のワールド・ベースボール・クラシックではメキシコ代表のコーチを務めた。
空を見ながら投げたり目をつぶって投げたりしていた逸話もある。
現在は古巣・ドジャースの解説者の一人として活動中である。また、現役時代につけていた背番号「34」は、野茂英雄が入団した1995年当時より空き番号だが、現在までにドジャースでこの背番号をつけてプレーした選手はなく、将来的には永久欠番となる可能性が高い。
息子のフェルナンドJrもサンディエゴ・パドレスでプレー経験がある野球選手である。
2006年-2007年のウィンターリーグに息子と共に出場中。
[編集] 球団履歴
- ロサンゼルス・ドジャース(1980~1990年)
- カリフォルニア・エンゼルス(1991年)
- ボルチモア・オリオールズ(1993年)
- フィラデルフィア・フィリーズ(1994年)
- サンディエゴ・パドレス(1995~1997年)
- セントルイス・カージナルス(1997年)
現役17シーズン
[編集] 記録
- 勝利 173
- 敗戦 153
- セーブ 2
- 通算防御率 3.54
- 出場試合 453
- 先発 424
- 完投 113
- 完封 31
- 投球回数 2930
- 奪三振 2074
- 与四球 1151
[編集] 獲得タイトル
新人王(1981年)、サイ・ヤング賞1回(1981年)、最多勝1回(1986年)、最多奪三振1回(1981年)、ゴールドグラブ賞1回(1986年)、オールスター出場6回(1981~1986年)