フェラーリ F40
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フェラーリ F40とは、1987年にフェラーリが創業40周年を記念して製作したスポーツカーの名称である。
これは創始者であるエンツォ・フェラーリが生前自ら発表した最後の車であり、歴代のフェラーリの中でも根強い人気のある車種である。 車体の基本構成こそ1960年代のフェラーリ製レーシングカー、あるいは従来の市販フェラーリと同様の楕円鋼管チューブラーフレームによるスペースフレーム方式ではあったが、当時開発されたばかりの複合素材や構造部接着剤といった最新のマテリアルを組み合わせた半モノコック構造とし、高い剛性を得ている。 パワートレインはWRC参戦を目論んで発売された前任車288GTO、およびその改良版288GTOエヴォルツィオーネから引継ぎ、改良を加えた強力なインタークーラー式ツインターボエンジン(タービンはいくつかのメーカーが比較検討されたが、最終的に日本のIHI/石川島播磨重工製が採用された)を搭載している。 公称最高時速は324km/h。
このクルマが持つ出力特性はまさにターボカーのそれであり、当時フェラーリのF1チームに在籍していたゲルハルト・ベルガーが開発を担当し、当時現役のF1ドライバーに、「雨の日には絶対に乗りたくない」や、「雨の日は絶対にガレージから出すな」と言わせた。
[編集] エンジンスペック
- 90度V8(ツインターボチャージド)
- 総排気量 2936cc
- DOHC 32バルプ
- ボア82.0mm
- ストローク69.5mm
- 最高出力 478bhp/7000r.p.m.
- トルク 58.8kg-m/4000r.p.m.
[編集] 輸入車としてのF40
日本にF40がお目見えしたのは1988年頃である。バレエの熊川哲也やX JAPANのYOSHIKIの愛車として名高い名車中の名車で新車価格は当時のディーラー価格で4650万円。発表当時、世界的な好景気の影響から各国のフェラーリ正規代理店にオーダーが殺到する異例の事態となり、日本では当時バブル経済の真っ只中にあったため、プレミアが付き、一時は2億5千万円で取引されたこともあった。日本のディーラーなどでは、F40以外の車種もまとめ買いし納車を早めるなどをしたため高くなったとも言われている。
当初発表された生産台数は350台、ないし400台であったが、フェラーリ社は急遽F40を増産することで対応し、結局1992年の生産終了までに1311台が生産された。日本の正規輸入車は59台、その内ストラダーレモデルが58台、コンペティツィオーネが1台となっている。
各種メディアにも紹介され、『カーグラフィックTV』(テレビ朝日系) では茨城県谷田部の日本自動車研究所 (JARI) のテストコースでフルテストを行った。
逸話としては某有名ジャーナリストが運転中に崖から転落し、そのクルマをイタリアのフェラーリ本社で修理したという話や、市販のビデオソフト「激走! フェラーリF40」で常磐自動車道を時速300km/hで走行するシーンが問題となり、ドライバーとビデオ販売会社が摘発を受けたという話もある。