フィクレト・アミロフ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
![]() |
クラシック音楽 |
---|
作曲家 |
ア-カ-サ-タ-ナ |
ハ-マ-ヤ-ラ-ワ |
音楽史 |
古代 - 中世 |
ルネサンス - バロック |
古典派 - ロマン派 |
近代 - 現代 |
楽器 |
鍵盤楽器 - 弦楽器 |
木管楽器 - 金管楽器 |
打楽器 - 声楽 |
一覧 |
作曲家 - 曲名 |
指揮者 - 演奏家 |
オーケストラ - 室内楽団 |
音楽理論/用語 |
音楽理論 - 演奏記号 |
演奏形態 |
器楽 - 声楽 |
宗教音楽 |
メタ |
ポータル - プロジェクト |
カテゴリ |
フィクレト・アミロフ(Fikret Amirov、1922年11月22日 - 1984年2月20日)は、アゼルバイジャンの作曲家。
アゼルバイジャンのギャンジャ出身。民謡にあふれた環境で育つ。父親のメシェディ・ジャミル・アミロフはシュシャ出身の有名な「ハナンデ」(ムガーム歌手)で、タールの作曲家・演奏家であった。
子どもの頃よりピアノ曲の作曲を始め、ギャンジャの音楽学校を卒業した後、バクー音楽院に入り、ボリス・ザイドマン、ウゼイル・ハジベヨフに師事した。
1941年、第二次世界大戦の勃発で徴兵され、音楽院での研究は中断された。ヴォロネジ近郊で負傷し入院した。やがて兵役から復員し音楽院での研究を再開するためにバクーに戻った。
アミロフの音楽はアゼルバイジャン民謡に強く影響されており、交響的ムガームという新たなジャンルを作り出した。交響的ムガームは古典的な民謡に基づいており、レオポルド・ストコフスキー指揮のヒューストン交響楽団など世界中の多くのオーケストラで演奏された。
多作家で、有名な作品には「シュール」(1946年)、「クルド・アフシャリ」(1949年)、「アゼルバイジャン奇想曲」(1961年)、「バヤーティ・シラーズの花の庭」(1968年)、「大祖国戦争の英雄の思い出に」(1944年)、「ヴァイオリン・ピアノのための二重協奏曲」(1948年)などがある。
バレエには「ニザーミー」(1947年)、「千夜一夜物語」(1979年)があり、オペラには「セヴィル」(1963年)がある。
さらに「バラード」「アシュングの歌」「ノクターン」「ユーモレスク」「感傷的なダンス」「ワルツ」「子守唄」「トッカータ」などの作品がある。また映画音楽も多数作曲した。
1965年にソ連人民芸術家の称号を受け、1949年と1980年にはソビエト連邦国家賞を受賞している。
カテゴリ: アゼルバイジャンの作曲家 | ソビエト連邦の作曲家 | 近現代の作曲家 | 1922年生 | 1984年没 | クラシック音楽関連のスタブ