ビクトリア・デ・ロス・アンヘレス
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ビクトリア・デ・ロス・アンヘレス(Victoria de los Ángeles, 1923年11月1日 - 2005年1月15日)はスペインのソプラノ歌手。
バルセロナ出身。幼少期より声楽とギターを習い始め、長じて生地の音楽院に進んでピアノと声楽を学んでいる。1944年にバルセロナでリサイタルを開いてプロ・デビューを飾る。 翌年にはリセオ歌劇場(リセウ大劇場)でモーツァルト『フィガロの結婚』の伯爵夫人役を歌ってオペラ歌手としてもデビューする事になるが、リセウ音楽院在籍中の1941年にはプッチーニ『ラ・ボエーム』のミミ役を歌うという形で舞台経験は既にあったようである。
その後1947年のジュネーヴ国際コンクールで優勝して脚光を浴びるようになる。 1948年にはBBC放送でファリャの『はかない人生』のサルード役、 1949年パリ・オペラ座でグノーの『ファウスト』マルガレーテ役を歌い、 1950年にはザルツブルク音楽祭とコヴェント・ガーデンのロイヤル・オペラ・ハウス、ミラノ・スカラ座にデビューするなど国際的な大舞台で大活躍する日々を送る事になる。この年はニューヨークのカーネギー・ホールでリサイタルを開き、アメリカデビューも果たしている。
翌年の5月には『ファウスト』マルガレーテ役でメトロポリタン歌劇場にデビュー、1961年までほとんど毎年のように 出演を続け、生地の歌劇場を除くとアンヘレスがもっとも多く登場したオペラ・ハウスはメトロポリタンであろうと言われている。1957年にはウィーン国立歌劇場にもデビュー。
1961年にはバイロイト音楽祭に登場、この年と翌年にサヴァリッシュの指揮で『タンホイザー』を歌っているが、この頃からオペラ・ハウスとは少しずつ距離を置き始め、コンサート活動の方に軸足を移して行く事になる。この時代のリサイタル活動でもっとも有名な録音は1964年、ロンドン、ロイヤル・フェスティヴァル・ホールでのムーアとの共演をライヴ録音した『イン・コンサート』である。
1992年、彼女の生地で開かれたバルセロナオリンピックの閉会式でカタロニア民謡『鳥の歌』を歌った事は記憶に新しい。