バーナード・ブリトー
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バーナード・ブリトー(Burnard Brito, 1963年12月4日 - )は、ドミニカ共和国出身の日本ハムファイターズに所属していたプロ野球選手。
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[編集] 来歴・人物
不調のティム・マッキントッシュに代わり、1995年7月に入団。マイナーリーグでは三冠王などのタイトルを獲得するが、メジャーに上がるとレベルが高くなる為か、まったく打てず、マイナーに降格になるとまた打ち出すためミスター・マイナーリーグと呼ばれていた。そして当時、西武ライオンズ・千葉ロッテマリーンズ・読売ジャイアンツなどのチームもブリトーを狙っていたが、「三振が多すぎて、日本では通用しないのでは」という見方で慎重だった所をファイターズが、奪い取った。
入団初年度の1995年は56試合で21本という驚異のペースで本塁打を量産した。95年はダイエー(当時)の小久保裕紀がたった28本で本塁打王に輝いたため逆転キングも狙えたが、シーズン後半に身内の不幸で母国へ帰国してしまい、逆転キングは夢となった。
1996年シーズン中、「日本の練習法が馴染めない」という理由で自ら申し出て退団。実力は申し分なかったので、ファンからは惜しまれながらの退団となった。その後は米球界へ復帰。
ちなみに、2000年シーズン広島へ入団したペレス・ブリトーは従兄弟。
巨漢で強面だが、趣味はパッチワークという繊細な一面も持っていた。
[編集] タイトル
- オールスター出場
- 1回 (1996年)
[編集] 背番号
- 42(1995年~1996年)
[編集] 通算成績
実働2年 182試合 684打数 50本塁打 133打点 1盗塁 通算打率.272