ハインリヒ・ヘルツ
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ハインリヒ・ルドルフ・ヘルツ(Heinrich Rudolf Hertz, 1857年2月22日 - 1894年1月1日)は、ドイツの物理学者で、その名前は周波数を示すSI単位であるヘルツとなった。1888年には、電磁波の放射の存在を、それを生成する機械の構築によって初めて実証した。
ハンブルクのユダヤ教からキリスト教に改宗した家庭に生まれた。父はハンブルクの顧問、母は医者の娘であった。学校においては、アラビア語とサンスクリット語の語学と同じように、科学への適性も見せた。ドイツのドレスデン、ミュンヘン、ベルリン市で科学と工学を学んだ。キルヒホッフとヘルムホルツの指導学生として、1880年に博士号を取得。キール大学の理論物理の講師となった1883年までは、ヘルムホルツの門下生であった。1885年には、カールスルーエ大学の教授となり、そこで電磁波を発見した。
1881年に行われたマイケルソンの実験(1887年のマイケルソン・モーレーの実験の前身)でエーテルの存在が否定されたのをうけて、彼は電磁波の伝播をする機構を見つけるためにマクスウェルの方程式の再計算を行った。この実験を通して、マクスウェルとファラデーが予言した通り、信号が空間を伝播することが証明され、無線の発明の基礎となった。また、紫外線の照射により、帯電した物体は電荷を容易に失う光電効果(後にアインシュタインによって説明された)も発見した。
ドイツのボンで死去した。
甥であるグスタフ・ヘルツは1925年にノーベル物理学賞を受賞、その息子であるC.ヘルツは医学における超音波画像を発明した。
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