ニコライ・チェレプニン
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ニコライ・チェレプニン(Nikolai Nikolayevich Tcherepnin (1873年5月3日 - 1945年6月27日)はロシアの作曲家・ピアニスト・教授。サンクトペテルブルク出身で、ペテルブルク音楽院にてニコライ・リムスキー=コルサコフに師事する。セルゲイ・ディアギレフのロシア・バレエ団の最初のパリ公演では指揮者を務めた。1918年にロシア革命を避けてグルジアに渡り、トビリシ音楽院の院長に就任。1921年にイスタンブール経由でパリに亡命し、フランスで余生を送った。
ニコライ・チェレプニンはフランス印象主義音楽の影響を受けた最初のロシア人作曲家と言われており、古典的で明晰な構成と、軽妙洒脱な響きを好む傾向が認められる。ロシア人作曲家には珍しく、息の長い旋律を持続させ、深刻な劇的表現を発展させるということは不得手であったらしい。
より高名な作曲家のアレクサンドル・チェレプニンは息子である。
母校のペテログラード音楽院では、ニコライ・ソコロフやマクシミリアン・シテインベルクらとともに、学究肌の教師として名高く、愛弟子の一人にセルゲイ・プロコフィエフがいる。プロコフィエフはしばしばチェレプニン邸を訪れ、アレクサンドル・チェレプニン少年に深い影響を及ぼした。