ナルヴァの戦い
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ナルヴァの戦い(ナルヴァのたたかい、スウェーデン語Slaget vid Narva、ロシア語Битва при Нарве)は、1700年から1721年にかけてロシア帝国とスウェーデンを中心に戦われた大北方戦争における一戦闘。
1700年11月17日、スウェーデンのナルヴァ要塞を陥落させるため、ピョートル1世が3万から4万の兵を率いて要塞を包囲していた。これに対し、当時、若干18歳であったスウェーデンのカール12世は、約半分ほどの兵力でロシア軍に壊滅的な打撃を与えた。
この後、スウェーデンはロシアと組んでいたポーランドにも軍事遠征を行い、一旦はポーランドの反スウェーデンの動きを沈静化させた。一方、敗れたピョートル1世はさらなる軍の近代化を推進するとともに、1705年より徴兵制の導入も行った。ナルヴァの要塞は、ロシア軍を一度は退けたものの、カール12世の不在時の1704年に陥落した。
[編集] 1944年の戦い
ナルヴァは第二次世界大戦でもドイツ北部方面軍とソ連軍の戦闘の舞台となった。