ドナルド・P・ブース
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ドナルド・プレンティス・ブース(Donald Prentice Booth、1902年12月21日 - 1993年)は、アメリカの軍人。1958年5月1日から1961年2月12日まで琉球列島高等弁務官を務めた。ニューヨーク州オールバニ出身。
[編集] 経歴
1902年12月21日生まれ。陸軍士官学校を卒業し、その後コーネル大学で工学を学んだ。
第二次世界大戦中はペルシア湾の駐留部隊に勤務し、後に司令官になる。その後、統合参謀本部やドイツの駐留米軍に勤務し、陸軍参謀本部人事担当参謀次長などを歴任した。
1958年に第2代高等弁務官に就任する。沖縄各地を回り民情の把握に努めるなど、前任者とは異なり民意を尊重する姿勢を示して混乱の収拾に努めた。懸案だった軍用地問題も彼の時代に一応の解決をみた。他の主な施策として、新集成刑法施行の無期延期を決めたり、行政主席選任に際して立法院の第一政党の意見を取り入れる「第一党方式」を採用するなど、一定の譲歩を行った。また、ドルへの通貨交換を実施し、貿易の促進を図ったりした。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 琉球列島高等弁務官
- 第2代:1958年~1961年
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- 先代:
- ジェームス・E・ムーア
- 次代:
- ポール・W・キャラウェイ
カテゴリ: アメリカの沖縄統治機関の高官 | アメリカの軍人 | 1902年生 | 1993年没