デーブ・ジョンソン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
デーブ・ジョンソン(David Allen Johnson, 1943年1月30日 - )は、アメリカ合衆国フロリダ州オーランド出身のメジャーリーグの選手・監督である。
目次 |
[編集] 来歴・人物
トリニティ大学より1965年にボルティモア・オリオールズ(Baltimore Orioles)に入団。二塁手として活躍。1973年にアトランタ・ブレーブス(Atlanta Braves)に移籍し、その年二塁手としての大リーグ記録(当時)の43本塁打を放つ。1975年~1976年、読売ジャイアンツ(Yomiuri Giants)でプレーした。読売ジャイアンツでは長嶋茂雄の後釜として期待されたものの、慣れない三塁守備や日本人投手のコントロールのよい変化球に苦しみ、十分にその実力を発揮することはできず、「ジョン損」等と酷評された。本来の二塁手に戻った2年目は、日本野球にも慣れ、ベストナイン・ダイヤモンドグラブ賞を獲得する等活躍し、長嶋巨人の初優勝に貢献した。メジャーに復帰後、フィラデルフィア・フィリーズ(Philadelphia Phillies)、シカゴ・カブス(Chicago Cubs)を経て1978年限りで現役を引退した。
引退後はマイナーの監督を経て1984年にニューヨーク・メッツ(New York Mets)の監督に就任。1986年には、ニューヨーク・メッツをワールドシリーズ優勝に導いた。のちにシンシナティ・レッズ(Cincinnati Reds)の監督としても1995年に地区優勝。さらにロサンゼルス・ドジャース(Los Angeles Dodgers)やボルティモア・オリオールズの監督も務める。
2003年からは2004年アテネオリンピック野球オランダ代表チームの監督を務めた。2005年には2008年北京オリンピック代表監督に就任。また、2006年にアメリカで開催された第一回ワールドベースボールクラシック(WBC)ではアメリカ代表のコーチを務めた。
[編集] 通算成績(巨人在籍時)
年度 | 試合数 | 打数 | 得点 | 安打 | 二塁打 | 三塁打 | 本塁打 | 塁打 | 打点 | 盗塁 | 盗塁刺 | 四球 | 死球 | 三振 | 打率 |
1975年 | 91 | 289 | 29 | 57 | 7 | 0 | 13 | 103 | 38 | 1 | 0 | 21 | 11 | 71 | .197 |
1976年 | 108 | 371 | 48 | 102 | 16 | 2 | 26 | 200 | 74 | 1 | 1 | 46 | 9 | 62 | .275 |
通算 | 199 | 660 | 77 | 159 | 23 | 2 | 39 | 303 | 112 | 2 | 1 | 67 | 20 | 133 | .241 |
<表彰等>
- ダイヤモンドグラブ賞(二塁手)(1976年)
- ベストナイン(二塁手)(1976年)
- オールスター(1976年、ファン選抜、出場辞退)
[編集] ジョンソン関連の評論
- 蓮實重彦「デイヴ・ジョンソンは美しかった」(『スポーツ批評宣言あるいは運動の擁護』所収)
[編集] 関連項目
- 読売ジャイアンツ4番打者
- 第41代
-
- 先代:
- 淡口憲治
- 次代:
- ジョン・シピン
カテゴリ: アメリカ合衆国の野球選手 | 読売ジャイアンツの選手 | 野球監督 | 1943年生