セイウンスカイ
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性別 | 牡 |
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毛色 | 芦毛 |
品種 | サラブレッド |
生誕 | 1995年4月26日 |
死没 | (現役種牡馬) |
父 | シェリフズスター |
母 | シスターミル |
生産 | 西山牧場 |
生国 | 日本(北海道鵡川町) |
馬主 | 西山牧場 |
調教師 | 保田一隆(美浦) |
競走成績 | 13戦7勝 |
獲得賞金 | 6億1028万2000円 |
セイウンスカイは日本の競走馬である。1998年に、スペシャルウィーク、キングヘイローなどを相手に皐月賞、菊花賞の二冠を達成した。菊花賞では逃げて芝3000mの世界レコードを樹立している。現在は種牡馬で、産駒は2005年にデビューしたが数も少なく、まだ目立った成績は残していない。
目次 |
[編集] 出自
誕生当時の西山牧場は、成績不振を理由にそれまでの大量生産体制から、少数精鋭体制への転換を試みており、自家繋養の種牡馬をほぼ売却し、繁殖牝馬も大量に処分していた。セイウンスカイの父シェリフズスターも、これ以上の成果を期待できないと売却された。そして産駒の約100頭近くも処分する予定だったが、その中から3頭だけは残そうと言うことになり、その中にセイウンスカイとセイウンエリアがいた。
- シェリフズスターは、以前は消息不明ということだったが、競馬情報誌『サラブレ』2005年9月号によると、廃用後もある育成牧場に預けられていたことが分かった。そこで、草競馬への出走を目指して調教されていたが、高齢のためか体がついていかなくなり、最終的には立てなくなって、死亡したということである。だが競走馬として残った3頭のうち2頭がオープンクラスまで出世し、そのうちの1頭がGIを制覇するという結果から、その後種牡馬として活躍する機会がなかったのは競馬界にとっての損失とも言える。それまでまったく実績のなかった種牡馬が突如化けると言う事実も多々存在するのである。
[編集] 育成
育成段階でも特に目立ったところはなく、当初入厩先予定だった調教師も、結局入厩拒否のような形で、セイウンスカイを受け取りには来なかった。そこで、かねてから付き合いのあった保田隆芳が息子の保田一隆に厩舎を譲り、新たに開業すると言うことで、そのプレゼントとしてセイウンスカイを預ける形だったという。だが本人もここまで活躍するとは思っていなかったようで、プレゼントというよりは荷物になるのではないかと心配していた。
[編集] 現役時代
血統が良くないこともありデビュー前の評価は低く、デビュー戦は5番人気だった。しかし道中3、4番手につけ4コーナーで先頭に立つと、そのまま押し切り6馬身差をつけて優勝する。さらにつづくジュニアカップでは、評判馬のメガヒットらを相手に逃げ、5馬身差をつけ連勝。低評価から一変、クラシック候補へと名乗りを上げる。
弥生賞ではジュニアカップ同様逃げるものの、最後の坂でスペシャルウィークに差しきられて2着に敗れてしまうが、3着馬キングヘイローとあわせてクラシック3強を形成する。そしてクラシック第1段、皐月賞では道中は2番手を追走、4コーナー手前で先頭に並び掛けるとそのままキングヘイロー、スペシャルウィークの猛追を抑え見事に皐月賞を制覇。このレースからコンビを組んだ鞍上の横山典弘にも三歳クラシック初制覇をプレゼントした。しかし続く東京優駿(日本ダービー)ではキングヘイローがよもやの逃げを打ち、これと競り合いとなったため直線で思ったほど手応えが無く、スペシャルウィークに5馬身以上の差をつけられ4着に沈む。雪辱を誓った秋の初戦、京都大賞典では、序盤で大きく後続を離しながら3コーナーでいったんペースを落として後続を引きつけ、最後の直線で突き放す戦法でレースを支配し、この年の春の天皇賞優勝馬メジロブライトを首差抑え勝ち菊花賞制覇へ向けて好調なスタートを切った。
そして菊花賞では、前半1000mを59秒6というハイペースでとばし、中間の1000mを64秒3と一気にペースを落とす。そしてラスト1000mを59秒3で駆け抜けるという、京都大賞典の再現のような逃げでスペシャルウィークを3馬身半離して勝利。このときのタイム3分3秒2はレースレコード(2006年、ソングオブウインドによって更新された)であり、3000mの世界レコードでもあった(後にドンカスターステークスでタガジョーノーブルによって更新された)。前週に不慮の死を遂げたサイレンススズカに代わる新たな逃げ馬、ビワハヤヒデ以来の芦毛の最強馬として期待された。しかし続く有馬記念では一番人気に支持されるも、同期のグラスワンダーの前に4着に敗れた。また二冠を制していたことから最優秀4歳牡馬への選出も期待されたが、エルコンドルパサーに奪われてしまう結果となった。
翌年は日経賞を勝利するが、本番の天皇賞(春)ではスペシャルウィーク、メジロブライトに差し切られ3着。休養後、札幌記念では戦法を一転させ後方からの捲くり勝ち。しかし1番人気で望んだ天皇賞(秋)ではをゲート入り嫌がるアクシデントなどもあり5着に敗退。さらにはレース後には屈腱炎を発症し、長期の休養に入った。
同期のスペシャルウィーク、グラスワンダー、エルコンドルパサーが引退し、テイエムオペラオーの時代に変わっていた約1年半後の2001年にセイウンスカイは天皇賞(春)で復帰した。絶頂期を思わせる爽快な大逃げにでたが、3コーナーで早々に失速。結局勝ったテイエムオペラオーから16秒近く離されたシンガリ負けを喫してしまう。そして再び脚部に異常をきたし引退となった。2001年8月19日、札幌競馬場で引退式。
[編集] 種牡馬時代
アロースタッドで繋用され種牡馬生活を送っている。 現在のところ種牡馬としての成績は芳しくないが、平成18年9月9日、札幌競馬場で行われた「1R2歳未勝利」戦でニシノプライドが中央産駒初勝利を挙げた。同世代(キングヘイローやスペシャルウィークやグラスワンダーなど)と比べて種付数が圧倒的に少ない状況にあり、今後の奮起が期待される。
[編集] 逸話
- 馬主である西山牧場の西山正行はセイウンスカイが出走する皐月賞を観戦した際、レース前に井崎脩五郎に「なんかいい馬いる?」と質問し、井崎が西山の馬とは知らず(当時は西山牧場=ニシノのイメージが強かった)にセイウンスカイを推すと、「そんなにいい馬なのか!?」と驚いていた。
- セイウンスカイの引退レースとなった天皇賞(春)で、大差のシンガリ負けとなったときに、JRA職員の一人がセイウンスカイがまだゴールしていないにもかかわらず、レースが終了したと勘違いしコース上に入ってしまった。そのことに対して、ファンのみならず騎手等の関係者からも非難が殺到した。
[編集] 主な勝ち鞍
- 皐月賞(1998年)
- 京都大賞典(1998年)
- 菊花賞(1998年)
- 日経賞(1999年)
- 札幌記念(1999年)
[編集] 血統表
セイウンスカイの血統 ハイペリオン系/Nasrullah5×5=6.25% Grey Sovereign5×5=6.25% | |||
父
*シェリフズスター Sheriff's Star 1985 芦毛 イギリス |
*ポッセ Posse 1977 栗毛 アメリカ |
Forli | Aristophanes |
Trevisa | |||
In Hot Pursuit | Bold Ruler | ||
Lady Be Good | |||
Castle Moon 1975 芦毛 |
Kalamoun | *ゼダーン Zedaan | |
Khairunissa | |||
Fotheringay | Right Royal | ||
La Fresnes | |||
母
シスターミル 1990 栃栗毛 北海道浦河町 |
*ミルジョージ Mill George 1975 鹿毛 アメリカ |
Mill Reef | Never Bend |
Milan Mill | |||
Miss Charisma | Ragusa | ||
*マタテイナ Matatina | |||
スイトアンジュレ 1985 鹿毛 |
*モガミ Mogami |
Lyphard | |
*ノーラック No Luck | |||
アンジュレスイート | カーネルシンボリ | ||
*スイートフランス F-No.23-b |
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