ジャリズム
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ジャリズムは、渡辺鐘(わたなべ あつむ)と山下しげのり(やました-、本名:山下栄緑)による、お笑いコンビ。吉本興業所属、ともに大阪NSC10期生。渡辺はしりとり竜王戦五段。
[編集] 略歴
- 1991年11月、「山下・渡辺」としてコンビ結成。1992年5月、「ジャリズム」に改名。「子供(ジャリ)主義(イズム)」の意味を持つ。
- 1994年1月、第15回ABCお笑い新人グランプリ審査員特別賞。
- 1998年12月解散。
- 2004年復活、2005年のM-1グランプリではともに準決勝まで進出したが、敗者復活戦で敗退。
[編集] 概要
- かつて大阪でかなりの人気を集めた。
- 渡辺の書くシュールな笑いは千原兄弟とともにポストダウンタウンとしてその存在を知らしめることとなった。
- ネタの完成度は非常に高く、「葬式DJ」などはダウンタウンの「誘拐」に匹敵するくらいクラシックな輝きを放っており、以前TBSの番組であった「明日のダウンタウンを作れ」の子供漫才コンテストなどで出演者の子供がパクってしまうほどのものであった。(ちなみに優勝は現在のりあるキッズ)
- また「バカドールシアター」は渡辺の天才っぷりが発揮されている傑作であり、当時はもちろん今も伝説的ネタとしてそのファンは多い。
- その勢いで東京進出したものの大阪時代のようにはうまく行かず、また山下自身将来への不安を抱き吉本興業の社員への道を会社と相談。会社側はOKを出すが、これは”4年制大学を卒業してから”という意味だが、勘違いした山下は一方的に解散。このことはナンバ壱番館で後に語られている。当時ポストダウンタウンの位置とまで言われていたコンビの解散だけにこの解散報道は若手コンビとしては珍しく関西のスポーツ新聞にも大きく報道された。その後、早とちりに気づいた山下は再び渡辺に復活を打診するも上記の理由によるいわば我がまま解散であったため渡辺は拒否。
- 以後、山下はピンで『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』などに出演、渡辺はお笑い番組の構成作家として活動していたが、2004年2月、ライブ「元ジャリズムまつり」にて復活。(一説では王シュレット事件に作家としてかかわっており、その後処理の過程で渡辺にジャリズムの復活を思い切らせたとも言われている)
- 復活後は解散前の時代からタイムマシーンでやってきたかのような当時のままの芸風で当時のファンには高い評価を受けるが、一般的な評価はあまり芳しくないようである。
[編集] 解散前、再結成前にレギュラー出演したテレビ番組
- ナイトinナイト(朝日放送)
- すんげー!Best10(1995 - 1997年 朝日放送)
- PUSH!(1997 - 1998年 朝日放送)
- 笑いの剣(1994 - 1995年 朝日放送)
- 光速脳天!ベタキング(1996 - 1997年 関西テレビ放送)
- 正しい恋のつくりかた(関西テレビ放送、後にTADAKOI-Xに改称)
- 渋谷でチュッ!(1997 - 1998年 テレビ東京。後にテレビ大阪やAT-Xにもネット)
- アメジャリチハラ(テレビ朝日系)
- エンタメゆうえんち 東京移住計画(フジテレビの深夜番組)
[編集] 再結成後に出演したテレビ番組
- 笑いの金メダル・爆笑統一王座決定戦
- 登龍門F
- やりにげコージー
- 虎の門(いとうせいこうナイトでの「しりとり竜王戦」)