ジム・モリソン
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ジム・モリソン(Jim Morrison, 本名 James Douglas Morrison, 1943年12月8日 - 1971年7月3日)は、1960年代に活動したアメリカのロックバンド・ドアーズのボーカル、詩人。バンドの大部分の楽曲の作詞をし、またそれとは別に、数冊の詩集を発表した。
[編集] 人物
ジェームズ・ダグラス・モリソンはアメリカ海軍の提督ジョージ・スティーヴン・モリソンおよびクララ・クラーク・モリソン夫妻の息子としてフロリダ州メルボルンで生まれた。
ジムは厳格で保守的な両親によって育てられたが、両親の教育とは徹底的に異なった価値観での作品表現を行った。
モリソンによれば、彼の生活での最も重要な出来事は1947年のニューメキシコ州への家族旅行中でのことであった。彼は以下のように語っている。
- 「僕が発見した最初の死だった...僕と母と父、そして祖母に祖父は夜明けに砂漠を通っていた。インディアン達の乗ったトラックが別の車か何かと衝突して、彼らはハイウェイ中にまき散らされ、血を流して死んでいた。僕は単なる子供だった。だから、父と祖父が事故を確かめに行ったけれど、僕は車の中にとどまっていなければならなかった。僕は何も見なかった。僕が見たのは奇妙な赤ペンキとまわりに寝転がってる人たちだった。でも僕は彼らが僕同様に何が起きたのか分かってないのを理解した。それは僕が初めて味わった恐怖だった...そして僕はその瞬間思った。死んだインディアン達の魂は - たぶん彼らの内一つか二つ - ちょうどそこらを走り回り、幻覚のように奇妙な行動をし、僕の魂に入り込んだ。そして僕はスポンジのようにそこに座ってそれを吸い取る準備が出来ていたんだ。」
一家は父の職業柄、転居を重ねジムはそのため家に閉じこもって読書にふけることが多くなった。高校卒業後フロリダ州立大学に入学するが、哲学や詩にのめり込み、1964年の1月に家族の反対を押し切りUCLAの映画学科に編入する。UCLAで彼はレイ・マンザレクに出会い、彼に自作の詩を読んで聞かせた。マンザレクは彼の詩に惹かれ、バンドを組むことにする。ジムはレイと彼の兄リック、メディテーションセンターで出会ったジョン・デンスモアと共にデモ・レコードを録音する。リックがバンドを辞め、同じメディテーションセンターの仲間だったロビー・クリーガーが参加してザ・ドアーズのラインナップが完成した。
バンド名「ザ・ドアーズ」は、ウィリアム・ブレークの詩「忘れがたい幻想」から取られたオルダス・ハックスレーの『知覚の扉』The Doors of Perception が元となっている。
彼は自らを「ミスター・モジョ・ライジン Mr. Mojo Risin'」とした。それは「ジム・モリソン Jim Morrison」のアナグラムである。そしてそれは彼の最後のアルバムに収録されている「L.A.ウーマン」のリフレインに用いられた。さらに彼は「トカゲの王 The Lizard King」と呼ばれた。それはアルバム『太陽を待ちながら』の中に現れる彼の有名な叙事詩「ザ・セレブレーション・オブ・ザ・リザード」から来ており、それは1990年代にミュージカルとして上演された。
ザ・ドアーズの結成前からモリソンは様々な薬を服用し、多量の飲酒で様々などんちゃん騒ぎに耽った。時にはレコーディング時も酔っぱらい、その様子は多数録音された。「ファイヴ・トゥ・ワン」の中では彼のしゃっくりが聞かれる。また、ジミ・ヘンドリックスとのセッションでも酔っぱらった様子が録音されている。
1969年3月、マイアミでのコンサートで彼はズボンを下げ自慰行為を見せたと言うことで逮捕される。モリソンの逮捕と共に、バンドは反社会的存在のレッテルを貼られ、ライブ活動は縮小していった。1970年12月12日のニューオーリンズでのステージを最後にモリソンはライブ活動を停止した。彼は著作に専念するため1971年3月にパリへ移り住んだ。
ジム・モリソンは1971年7月3日にパリのアパートでバスタブの中で死体として発見された。多くのファンおよび伝記作家が死因を薬の過剰服用や、アメリカ政府による暗殺の可能性を推測した。モリソンの死はブライアン・ジョーンズ、ジャニス・ジョプリン、ジミ・ヘンドリックスに続く悲劇だった。(偶然にも彼らは同じ27歳で死亡しており、ロック界におけるひとつのジンクスとなっている。20数年後にニルヴァーナのカート・コバーンも同じ年齢で自殺している。)
死因は公式には心臓発作と発表された。彼はパリの東にあるペール・ラシェーズ墓地に埋葬されているが、訪れるファンの落書きやゴミが問題とされ、新しい別の場所に再埋葬される可能性が示された。
幾人かのファンは彼の死はスポットライトから逃れるための偽装だと信じている。陰謀を主張するものは、彼のガールフレンド、パメラ・カーソンが「彼は非常に疲れていて、病院で休んでいる」と新聞に語ったことを指摘する。実際に死体が埋葬されるのを見たのはごく少数で、またモリソンは「死」に先立つ数ヶ月前からバンドのメンバーによく「アフリカへの逃亡」を冗談めかして話していた。ジョン・デンスモアがモリソンの墓に初めて訪れたとき、彼は「(遺体が入るには)墓が短すぎないか?」と話したと言われている。
[編集] 外部リンク
- SOFT-PARADE 6571 - Vinyles, Bootlegs, Concerts, videos, Livres, Poesie, Dossier
- Waiting For The Sun - The Spirit of Jim Morrison
- A list of his quotes
- Jim Morrison's Grave
- Biography and summary over his work: as pdf, html and dvi all under GNU FDL
- Earliest film of Jim Morrison
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