ジム・クロウ法
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ジム・クロウ法(Jim Crow law)は1876-1964年にアメリカ合衆国南部州の州法で、アフリカン・アメリカン(アメリカ黒人)の一般施設利用を制限したものである。
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[編集] 経緯
南北戦争後の南北統合期(1865-)、奴隷制廃止を掲げた北部州(共和党)に、奴隷制維持を掲げていた南部11州(民主党)が対抗していち早く 黒人取締り法(black code)を制定。当時工業で発展し始めていた北部と異なり、南部では黒人労働力による農業が依然と経済の基礎を成していた為黒人に対する偏見がより一層強かったとも言われる。この黒人取締り法がジム・クロウ法の礎になったといえる。
1945年以降、公民権運動が高まるとジム・クロウ法に対して裁判闘争が行われ、1954年には公立学校の人種別隔離は違憲との判決が連邦高裁で下された。1964年7月2日、リンドン・ジョンソン政権は公民権法(Civil Rights Act)を制定し、南部各州のジム・クロウ法は即時廃止となった。
[編集] 名の由来
ジム・クロウという名は、ミンストレル・ショー(Minstrel Show、白人が黒人に扮して歌うコメディ)の1828年のヒット曲、『ジャンプ・ジム・クロウ(Jump Jim Crow)』に由来する。英国からの移民であったコメディアンのトーマス・ダートマス・”ダディ”・ライス(Thomas Dartmouth "Daddy" Rice)が演じて人気を博し、顔を黒く塗って黒人に扮するブラックフェイス・パフォーマンスを全米に広めた。ジム・クロウは田舎のみすぼらしい黒人を戯画化したキャラクターであり、着飾った都会の黒人であるジップ・クーン(Zip Coon)とともにミンストレル・ショーの定番キャラクターとなった。1837年までに、ジム・クロウは黒人隔離を指す言葉としても使われるようになっている。
[編集] 例
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- 結婚 白人と黒人の結婚は禁止された。なお先祖4世代前までに黒人の血が一人でも含まれれば、純粋な黒人と同様『黒人』として扱われた。
- 交際 結婚していない黒人と白人(結婚自体既に禁止されているが)は一緒に住んではならないし、ひとつ部屋で夜を過ごしてもならない。この犯罪には12ヶ月以上の禁固刑、もしくは500$(当時)の罰金が科せられた。
- 学校 白人学校と黒人学校は厳密に分けられた。
- ミシシッピ州法の例
- 上記州以外に、ジョージア州、ルイジアナ州、ノース・カロライナ州、ワイオミング州が似たような法律を持っていた。
- ほとんどの南部州
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- 過剰な投票税をかけるなどして、黒人が投票するのを防ごうとした。